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カテゴリ:シネマ
遠藤周作の「沈黙」が外国で映画になり、なかなかの出来だそうです。
今日の東京新聞夕刊の「大波小波」さんは、その「沈黙」のことについて取り上げていました。いただいて、ご紹介! 「天国で喜んでいる?」 =あの話、どうなったんだろう・・・、と遠藤周作ファンがやきもきしつづけて四半世紀過ぎた。 マーティン・スコセッシ監督と遠藤が米国で出会って、『沈黙』映画化について話しあったのは1991年だった。 しかし、いつになっても映画が来ない。やはり外国人には受容不可能な小説だったのだろう、と高をくくって諦めていたら、映画が到来した。 初日に観て、ホッとした。これなら遠藤さんも天国で喜んでいるだろう。 映画化のきっかけは、エピスコパル派の主教が監督に英訳版原作を贈ったことだったという。この事実に、私は驚いた。 日本では一部のキリスト教会が原作を禁書扱いしたからである。 踏み絵を踏むことを良しとすれば、殉教者たちの聖性が揺らぐ。教会の立場として、禁書はやむをえなかったのだろう。 が、踏み絵を踏むその痛みに自分は寄り添う、という「沈黙」の声にはイエスの生身の手触りがそなわっていた。 原作は、キリスト教とは無縁の全共闘世代に深い慰謝を与えた。ゲバ棒とシュプレヒコールを捨てて企業戦士になった世代の心には、「転向」という責めの棘が刺さる。 彼ら彼女らの掌には、今も摩滅して歪んだ十字架が握られているのだろうか。= ☆という、大波小波さん「昭和の子」さんでした! 遠藤周作の「沈黙」、昔読みましたよ。いま家にあるのは「死海のほとり」。昔に読んだのですっかり内容も忘れてしまっていました。久しぶりに読んでみようかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.02.04 18:53:54
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