<方丈庵が見たい>
下鴨神社の河合神社境内に復元された方丈庵があるとのことで、紅葉狩りを兼ねて見に行こう・・・・
ということで昨日、久々に京都まで繰り出したのです。「糺の森」で、あわよくばモミジも見たいという欲張り根性でんな。
糺の森では黄葉する樹が多くて、モミジもまだ緑色で、やや思惑が外れたが・・・・
うっそうとした自然の森の感じが、ええやんか♪
これで、京都でお気に入り自然スポットが増えたのです。(ちなみにもう一つのスポットは市営植物園なんですが)
【史跡糺の森・国宝賀茂御祖神社(下鴨神社)の保全のために】より
紀元前3世紀ごろの原生林と同じ植生が今に伝えられる「糺の森」は、貴重な都市の森林として国の史跡であるだけでなく、国宝2棟、重要文化財53棟、重要社殿30棟など歴史的建造物を数多内包し、ユネスコの『世界文化遺産』にも登録される文化の森。この貴重な世界遺産「糺の森・国宝賀茂御祖神社」を保存し、次代につなぐことは、我が国の文化と環境を守ることはもちろん、都市における自然環境保護につながると考えております。
|
ところで、「糺の森」という命名が意味ありげで、気になっていたが・・・・
昔は「直澄」と書いて清水の湧くところだったと、説明板に書いてありました。
かんじんなお目当ては方丈庵であるが、河合神社の中に復元された方丈庵は長明さんが方丈記に書いたとおりのたたずまいです♪
方丈庵:古典に親しむより
今、日野山の奥に隠れ住むようになってから、庵の東に三尺あまりの庇を差し出し、その下で柴を折りくべて炊事をする場所とした。南側には竹の簀の子を敷いて、その西側に閼伽棚を作り、その北のほうに寄せて衝立(ついたて)を隔てて阿弥陀の絵像を安置し、そのそばに普賢菩薩の絵像を掛けて、前には法華経を置いてある。東の端には伸びた蕨の穂が開いたのを敷いて、寝床にしている。南西には竹のつり棚を作って、黒い皮製のつづらを三つ置いてある。それは何かといえば、和歌・管弦に関する書、往生要集というような注釈書を入れてある。そのそばに琴、琵琶それぞれ一張を立ててある。世に言う折琴、継琵琶がこれである。仮の庵のありさまは、このようなものだ。
|
下鴨神社の下流の加茂大橋あたりの景色が思いのほか広々していて、いいですね。
鴨長明ゆかりの日野の里には、また別の機会に訪ねることにしよう。
とりあえず、方丈庵跡の情報をネットからメモしておきます。
長明の方丈庵跡/日野の里より
●長明の方丈庵跡 ・・・・・ 伏見区日野船尾 (ひのふなお)
法界寺の東の笠取山西麓に鴨長明が隠棲し、随筆「方丈記」を執筆した庵の跡、「方丈の庵(いおり)跡」がある。方丈の庵跡へは、法界寺から北100mほどのところにある日野自治会公会堂前に立てられた道標「鴨長明方丈石」に従うとよい。
地下鉄東西線「石田」駅の2番口を出て、日野通を20分間ほど東(正確には東南)へ向かって歩けば、そこは “日野の里”と呼ばれている地域となる。また、逆に西(正確には北西)へ向かい山科川を渡ると“小栗栖(おぐりす)の里”となる。
スタート地点の日野自治会公会堂前から約25分、山道に入って約7分で到着する。大岩の上へ向かう踏み込まれた道を登ると「長明方丈石」と刻まれた石碑と「方丈の庵跡」の石版がある。方丈石は足元の大岩で、長明が方丈記を著した庵はこの地と説明されてる。
「長明方丈石」
鴨長明は、鎌倉初期の宮廷歌人で、随筆「方丈記」の著者として知られている。下鴨神社の祢宜(ねぎ)の次男であったが社司の継承に失意して出家。洛北大原に棲うがその後、移動を繰り返し建暦元年(1211)日野の地に落ち着く、58歳。その間の住まいが組み立て式の小さな小屋。現在で言うプレハブ式簡易建物で、間口、奥行きともに1丈(約3メートル)四方であることから「方丈」の名がある。日野では、この大岩の上で組み立てたのであるが、なぜこのような寂しい山の中?と思う場所である。
|