図書館で『藤田嗣治手しごとの家』という本を手にしたが・・・・
インテリア、裁縫、絵付け、木工、収集、装丁、写真など手仕事に対する藤田の職人気質が見えるわけです。
それから・・・
新書ヴィジュアル版と銘打っているとおり、カラー画像満載で嬉しい本でおま♪
【藤田嗣治手しごとの家】
林洋子著、集英社、20094年刊
<「BOOK」データベース>より
日本人の美術家として初めて国際的な美術界と市場で成功を収めた藤田嗣治。彼はまた、当時の男性には珍しく、身のまわりのものをことごとく手づくりし、暮らしを彩った、生活の芸術家でもありました。裁縫、大工仕事、ドールハウス、写真、旅先で収集したエキゾティックな品々…。本書では絵画作品にも描かれた、藤田がこよなく愛したものたちに焦点を絞り、そのプライベートな非売品の創作世界を解きあかします。本邦初公開の藤田撮影の写真、スクラップブックなど、貴重な図版多数をカラーで掲載。ここに現代美術の先駆者としての藤田嗣治が、蘇ります。
<読む前の大使寸評>
インテリア、裁縫、絵付け、木工、収集、装丁、写真など手仕事に対する藤田の職人気質が見えるわけです。
それから・・・
新書ヴィジュアル版と銘打っているとおり、カラー画像満載で嬉しい本でおま♪
rakuten藤田嗣治手しごとの家 |
藤田が最晩年を過ごした家を見てみましょう。
<私たちの家>よりp17~22
2000年9月、パリ南郊に位置するエソンヌ県は、県内の小村ヴィリエ=ル=バクルに残る藤田最晩年の家を「メゾン=アトリエ・フジタ」として一般公開しました。そこは、藤田が1961年秋から68年1月の死の直前まで君代夫人とともに暮らした、小規模ながら画家の記憶あふれる場所です。現在でも鉄道の便が悪く、パリ市内から車で一時間程度を要します。
このヴェルサイユにほど近いパリ南郊は、1950年代にはパリの芸術家や文化人たちが週末を過ごす「田舎の家」を好んで持った地域で、彼も知人に招かれて近隣を訪れ、緑豊かな田園風景に魅せられたのがアトリエをかまえたきっかけといいます。しかし、藤田夫婦のように定住した例はめずらしく、パリの喧噪を離れ、70歳半ば過ぎてからの「隠棲」の場として選んだと思われます。
瀟洒で慎ましいこの家は、藤田後半生の代表作《礼拝》にも描きこまれています。洗礼を終えた夫妻がマリアに帰依する姿の背景に広がるのは、画面左手、藤田の後方に見えるヴィリエ=ル=バクルの家とそこからシェヴルーズの谷へとつづく丘陵地帯です。
(中略)
移り住んですぐに75歳の誕生日を迎えた彼は、その後の6年余りを過ごすことになります。1955年にフランス国籍を取得して日本国籍を抹消した藤田が、59年に洗礼を受けたのち、「フランス人、キリスト教徒」として住まった家です。確かに、ここでは1966年に完成するフランス北部の都市ランスの礼拝堂ノートルダム・ドゥ・ラ・ペのフレスコ画の構想が練られるなど、キリスト教を主題とした絵画が数多く描かれました。
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この本を作った著者の思いが述べられています。
<おわりに:林洋子>よりp193~195
集英社から藤田で新書をというお誘いをいただき、新書のヴィジュアル版という媒体に美術書としての新たな魅力と可能性を感じました。画集や展覧会カタログと比べて、サイズが小さくとも手に持って間近に見ることができる点で、いたく近眼だった画家が手元で愛でていた「もの」をたどるには理想的な版型だろうと。そして、前の本で画家の公的な側面を浮かびあがらせた自分が、これでその「合わせ鏡」となるべき、彼の私的な領域に踏みこむことができると確信しました。
当初、著作権交渉の難航を覚悟しましたが、関係者の尽力もあって君代夫人のご理解を得て、2009年2月に出版が決まりました。直後に夫人が人事不省に陥り、4月2日に亡くなられました。98歳でした。たいへんご壮健で、誰もが100歳までお元気だろうと思っていたところの急逝でしたが、亡き夫の没後40年関連の行事を見届けた彼女を、藤田がそばに呼んだのでしょう。満開の桜が舞い散るなかでの葬儀でした。
こうして、君代夫人が抱える藤田の遺品について書こうと準備していた間に、その持主が亡くなったことで、藤田の遺品は二重の意味での遺品となりました。遺品とは多くの場合、家族にとって故人の身代わりを意味します。だからこそ君代夫人には遺品でも、第三者には意味を持ちにくいものもありました。彼女は亡き夫の下着や羽根布団まで残していました。明治人らしいものを捨てない、ものを大切にする始末のよさと、そして藤田への無限の愛情のなせるわざでしょう。
本書では、もはや歴史上の公人となった創造者・藤田嗣治の画家以外の活動領域を示す、「手の痕跡」が感じられるものにしぼりました。人一倍、プロ意識の強い画家が、公開や販売を想定せず、あくまで自分たちのために手間と時間を惜しまずつくりこんだ非売の品々や書きものは、私的な遺品の「耐用年数」を越えて公的な文化資源として扱われるべき時期を迎えていました。
それらは藤田が最晩年までこだわりつづけた「家」とそこに残された「手しごと」が核となっており、本書は結果的に「メゾン=アトリエ・フジタ」自体を紹介し、文化資源として位置づける役割も果たしたのではないかと思います。そして、いささかなりとも、画家としての、本業の藤田理解にも資することを願います。
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この記事も
藤田嗣治アンソロジーに収めるものとします。