図書館で『くもをさがす』という本を、手にしたのです。
西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・
がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。
【くもをさがす】
西加奈子著、河出書房新社、2023年刊
<商品説明>より
カナダで、がんになった。「私は弱い。徹底的に弱い」。でもーーあなたに、これを読んでほしいと思った。祈りと決意に満ちた著者初のノンフィクション。
<読む前の大使寸評>
西加奈子さんもがんになったのか。それもカナダで見つかったとのこと・・・
がんより復帰した私にとって、がん文学もツボなんでチョイスしたのです。
<図書館予約:(5/10予約、9/06受取予定)>
rakutenくもをさがす |
「第1章 蜘蛛と何か/誰か」でがん告知が語られているあたりを、見てみましょう。
p17~19
<1 蜘蛛と何か/誰か>
宣告は、電話でされた。
クリニックの医師から電話があった時、私は整体をしてもらっているところだった。キックボクシングと柔術で、体がボロボロだったのだ。
柔術は、1年前から続けていた。コロナが蔓延して、半年ほど休まざるを得なかったので、久しぶりに復活したところだった。それから、キックボクシングも始めた。それぞれ週3、計6回ジムに通い、それ以外にも柔術は、パーソナルトレーニングもつけてもらった。
私は特に、柔術に夢中だった。先生のベルナルドと1時間のスパーリングをやっていると、指の皮がむけて血が出た。首を絞められ、体重をかけられ、足をすくわれている時、私はこの瞬間どうするか以外、何も考えていなかった。やることはたくさんあり、とても複雑なのに、それに対峙する自分の気持ちは、この上なくシンプルだった。私はそれに魅せられた。
どれだけ通っても、私はずっと弱いままだった。いつもこてんぱんにやられた(〇)。自分がどうして、こんなに向いていないことを続けているのか、訳が分からなかった。でも、とにかく強くなるために、私はご飯をたくさん食べ、家で筋トレをして、休日はランニングをした。あとから夫が、あの頃の鍛え方は尋常じゃなかったと言っていた。私の体がどこかで、今後治療することを予見していたのではないか、そのために備えていたのではないか、と。
そういえば私は、5月の自分の誕生日から、酒をピタリと止めていた。何か決意した訳ではないし、もちろん自分の体のことを知っていた訳でもない。でも、誕生日にワインを飲んで、その翌日から、なんだかもう、いらなくなったのだった。
私は酒が好きだった。大好きだった。特にカナダに来てからは、ブリチッシュ・コロンビア州産のワインが美味しいものだから、毎日ガブガブ飲んでいた(NARRATIVEという赤ワインが、特にお気に入りだった)。コロナ禍になってからは、ウォッカやジンにも手を出すようになった。夕ご飯を作りながら、ウォッカのレモンソーダ割りやジントニックを飲むのが日課だった。本当に、酒のない日常なんて考えられなかった。それなのに、突然、パタリと要求が止んだ。とにかく私はその時、私史上最強に健康で、最高にクリーンな体をしていた、はずだった。
整体師の先生に断って、電話に出た。前回の女性医師とは、また違う男性医師からだった。ウィル、と名乗った。彼は優しい声で、針生検の結果が出ました、と言った。
「あなたの病名はInvasive ductal carcinomaです。」
カルチノーマ、という言葉が、何を表すものなのか、分からなかった。だから、こう聞いた。
「それはがんですか?」
彼は、
「そうです」
と言った。
「私から教えられるのはここまでです。来週の月曜日か火曜日に、がんセンターから電話があります。もし、かかってこなければ、クリニックの私のところに、電話をしてください。」
8月17日 今日から日記をつけようと思う。
日記は久しぶりだから、何を描いていいのか分からない。今日、乳がんと宣告された。自分がこんなことを書かなければいけないなんて、思いもしなかった。乳がん。でも、それ以外は分からない。ステージはどれくらいなのか。私は生きられるのか。タリバンが、アフガニスタンを制圧した。流れてくるニュースは、絶望的なものばかりだ。アフガニスタンの女性のために祈ります。
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このあと加奈子さんのつたない英語の電話で、右往左往することになります。
それはさておいて・・・
柔術やキックボクシングのトレーニングに通い元気印のような加奈子さんであるが、元気の源がワイン、ウォッカ、ジンなどの酒だったとは・・・わりと体育会系の人なのかも♪