図書館で『地図で見るロシアハンドブック』という本を、手にしたのです。
この本は2022年のウクライナ侵攻前に発刊されているが・・・2014年のクリミア半島侵攻には触れているので借りた次第です。
【地図で見るロシアハンドブック】
パスカル・マルシャン著、原書房、2021年刊
<「BOOK」データベース>より
ロシアの現状が一目瞭然でわかるアトラス!ウクライナ危機、国境の変化、世界の新たな均衡など、今日のロシアの地政学的利益が一目でわかる。
<読む前の大使寸評>
この本は2022年のウクライナ侵攻前に発刊されているが・・・2014年のクリミア半島侵攻には触れているので借りた次第です。
rakuten地図で見るロシアハンドブック |
「ロシアの地政学的利点」から「極東のロシア」を、見てみましょう。あくまでもフランス人著者の見方ですが。
p176~179
<空白地域を管理する>
エニセイ川より東の極東と東シベリアでは、1000万平方キロメートルの面積に1550万人の住民しかいない。1989年には1670万人だった。大多数を占めるロシア人は西に戻っていく傾向があり、数少ない先住民族はあまり多産ではない。この空白地域に隣接するのが、人口13億人の中国をふくむ世界でもっとも人口密度が高い地域である。
中国人移民はアメリカやヨーロッパ、アフリカなど、もっと温暖で実入りのいいところへの移住を好むので、ロシアへはほとんど入ってこない。
1990年代にはイルクーツク、ノヴォシビルシク、コムソモリスク・ナ・アムーレにあるスホーイ社の工場が、インドなどアジア諸国に作戦機を大量に輸出した。西部にある工場ではおこなわれなかった近代化がなされたのである。
現在、航空機産業の復興はこれらの工場にかかっている。最新型の戦闘機(Su—34、Su—35、Su—57)や、ソ連崩壊後に設計された民間旅客機、スーパージェット100やイルクートMS—21の製造がおこなわれている。
ロシア政府は2006年にヴォストチヌイ宇宙基地の建設をけっていした。2020年にはロシアのほとんどすべての有人飛行を担うことになるだろう。ロシアの民間船舶建造の刷新は、とくに韓国からの技術移転がおこなわれることになっているヴラジオストクのズヴェズダ造船所に託されている。将来のロシア製砕氷船の製造もうけおっている。
(中略)
<国境紛争>
アムール川とウスリー川に沿った現在のロシアと中国の国境は、1858年のアイグン条約で定められたものだ。この条約は19世紀にヨーロッパの列強に押しつけられた「不平等条約」と中国がよんでいるもののひとつである。1969年には、ウスリー川流域でロシアと中国との軍事衝突が起こった。その後、国境が画定され、承認された。
中国は、東シベリアの豊富な鉱物資源に触手を伸ばしたいという気持ちはあるかもしれないが、これほど広大で過酷な地域の管理コストを負担するのは避けたいところだろう。いずれにしても、この地域からの販路としては中国や東アジアしかない。
(中略)
いっぽう、ロシアと日本の領土問題は数世紀前から続いている。千島列島は1644年から日本地図に描かれている。日本人は列島南部を支配し、ロシアのロシアのアザラシ猟師たちは北部にやってきていた。
1855年の下田条約(日露和親条約)で、列島北部はロシアに、列島南部は日本に割りあてられた。国境線は択捉島とウループ島(得撫島)のあいだを通っていた。
1875年のサンクトペテルブルク条約(樺太・千島交換条約)で、日本は千島列島すべてを獲得し、ロシアは樺太(サハリン)の統治権を得た。1905年にロシアが敗北したとき、ロシアは樺太北部の領有権を保持し、日本が樺太南部の支配権を得た。
1945年、ソ連軍が千島列島と樺太を占領した。樺太については日本から意義は唱えられなかった。1946年、ソ連は千島列島全体を併合し、南の4島に住んでいた1万7000人の日本人を追放した。1951年、サンフランシスコ講和条約により、日本は千島列島北部を放棄したが、南部の4島(歯舞、色丹、択捉、国後)はそうではない。
両国のあいだにはいかなる平和条約も結ばれていない。
2019年はじめ、日本の報道機関は、安倍晋三首相の発言にもとづいて、返還合意が間近にせまっていると報じた。このうわさは、ロシアのモスクワや、千島列島が属するサハリン州で抗議運動をひき起こした。
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『地図で見るロシアハンドブック』1:2014~19年のウクライナ