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今日は、CDの録音、FMの収録、TBS(情熱大陸らしいですな)の取材と、マスコミテンコ盛りの定期でしたが・・・
大阪 ザ・シンフォニーホール センチュリー第145回定期演奏会 小泉和裕指揮 大阪センチュリー交響楽団 ピアノ独奏 アリス=沙良・オット リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調 ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調 リストについていえば、この21歳の若いピアニストがややこの曲をもてあまし気味。この曲、これでどないや!文句ないやろ!!ぐらいのふてぶてしいヴィルトゥオージシティがあってこそなんぼ、そういうところに魅力があるんですよね。この人、残念ながらそこまでの技量や山師魂は持ち合わせておらず、極めて誠実に弾くものだから、最後の最後の大見栄の大盛り上がり大会が、不発に終わってしまった感あり。それよりも、アンコールで弾いたラ・カンパネラ、そこにあるのは内面からにじみ出るような音楽の表情のつややかさ、こういうところにこそこの人の美質があるように思うなあ。外面的効果を追求する曲は似合わない、んじゃないかしら?むしろ、ベートーヴェンやモーツァルトをこそ聴きたい、と思いましたが。最近には珍しいドイツ出身のピアニスト。聴衆としても、これから大事に育っていってもらいたいものです。センチュリーのバックは、さすが、というに如くはないきりっと引き締まった立派なもの。これは聴きものでした。 ブルックナーは、大変な力演だったことは認めるが、(ずいぶんと気合いが入っていた、と思われる)、残念ながら力演・熱演かならずしも名演ならず、というところかと。 この曲、やはり難物なんや、と思い知る。長く、そして複雑に入り組んだ構成。それがゆえに、よっぽど注意して最後の大コラールに至るまでを計算してやらないと、途中で人によっては辟易してしまうし、人によっては飽きてしまうんだろうなあ。 ぐすたふくんは、この曲、ブルックナーの中では嫌いな方ではない。むしろ、好きな部類の曲で、この間の大フィルを高関さんが振った演奏など、大変な感銘を受けたんだけど・・・やっぱりそれは、指揮者の腕次第・やりよう、だったのかもしれない。 小泉さん、いつものように小泉ダイナミズムでこの曲も料理しようとするのだが、いかんせんそれだけで何とかなるようなものではない。たしかに、センチュリーは律儀にその棒に応え、2管12型のオケで良くここまでの音をだせるなあと感心するまでの響きを鳴らすのだけれど、同じような抑揚・緊張と緩和・クライマックスとクーリング、が繰り返されるばかり。だから、そこを突き抜けてもう一段上がった音楽的感興を覚えるところまで至らない。結局それが、本当ならもっと法悦感をもって迫ってくるはずの4楽章コーダでの物足りなさにつながり、聴いている方としてはただただ長かったなあ、という思いが先に立ってしまう。 そう思うと、朝比奈御大がこの曲を得意にしていた、ということは、やはり御大の芸人魂の証左ということにもなるんでしょうなあ。 小泉さんは、ブルックナー指揮者ではやはりない、という思いを強くしました。ただ、むしろそれがゆえに、次の6番のほうが期待できるかもしれませぬ(4番もよかったしね)。来年となりますが、それは不惑わくわくで待つことにいたしましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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