カテゴリ:幸せ哲学
「センス・オブ・ワンダー」 森の声さんから、コメントでいただいたキーワード。
そうです。 「不思議感を育てる教育」。 欠落している。 これに真正面から、取り組んだ研究はあるのだろうか?
通常の教育では、不思議を大切に、と言っても 不思議を見つけたら、それが不思議でなくなるように お勉強しましょう、というものだ。
これは、センスオブワンダーではない。
どんどん、不思議が広がることの快感。 一緒に、不思議がる大人がいることの喜び。
これは、幼児期、少なくとも、小学生の低学年までに 体験させなければ、身につけられない感覚かもしれない。
中学生になると、もう、この世のことは だいたい「わかっちゃった。」になる。 「必要なことは、その都度、調べれば用が足りるもん。」となる。
一見、脈絡はないが、ピンときた言葉。 合気道の植芝盛平翁の(合気神髄より)
武術をやりながら、「強くなろうという執着が消える」
これは、科学をやりながら、この世の法則を全部わがものにする執着を消すことと 同じではないか?
霊妙なものに対する、尊敬と感動。
何より、この世に無条件の愛というものがある 不思議と感動。
(ちょっと論理はぶっとびますが) この世が意識でできているとすれば すべてのことに意味がある不思議と感動。
「不思議」は小さなことの中に見つけやすいものです。 しかし、大人になると、視野が広がるので、 小さなことが、相対的に小さくなる。(あたりまえ) そうすると、「不思議」が目に入らなくなる。
「不思議」は、あたりまえの中にこそある。 宇宙空間が本当は、あたりまえ。 地球上の重力の世界こそが、不思議なのに、 それに気がつかない。 花が咲く不思議。 人間が生きる不思議。 人間が生まれる不思議。
これから、学校で子ども達と会う不思議。 (やや、遅刻だ!) コメントへの返信、今できなくなっちゃった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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