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数学に親しむ多くの人が、「数学には美しさがある」と感じています。
多くの人は本当だろうか?と疑問に思うでしょう。 「数学は計算である」と考える人は、実用的なテクニックだと思っているでしょう。さらに、コンピューターの発達によって、人間は将来、数学を学ぶ必要はなくなる、とマジメに思っている人もいます。 「数学は論理である」という考えもあるでしょう。 だったら論理学をやればいいはずですよね。 また、「数学は言語である」というのも一理はあります。 しかし、数学は、計算もし、論理も用い、言語のようでもありながら、それらを超えた何かがあるのです。 「美しさ」というのは、科学的な表現ではありません。 美しさの絶対的な基準はありません。 絵画や音楽が人によって受け取り方が違うように、芸術は、人の感情です。 だからこそ、日本の誇る岡潔さんが、「数学は人の感情が中核だ」というのも、「情緒を豊かにしなければいけない」というも、それに関連したことなのでしょう。 数学だけではないでしょう。英語でも科学でも、社会でも、感情が伴わない理解は理解だと言えるのか、私は疑問です。 そもそも「わかる」とは、それ自身がとっても感情的なものです。 例えば、証明問題などで、論理的には理解できても、感情的には「納得」できない場合がありますよね。 人は感情が満たされなければ、決してそれが「わかった」とは思わないものです。 受験生が、最も早く、簡単に答えにたどり着く方法だけを覚えたとしても、 感情的には「わかった」という納得ができないのも当然です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
美しさだけではだめだぞ。広がりがないとな。ダイセルの久保田博士の材料物理数学再武装しってるか?
(2022.05.11 22:52:45)
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