不登校の子のいるご家庭から、
ご相談を受けることがしばしばあります。
私は、カウンセラーでもないんですが、
「はてなランド」は、フリースクールと世間では見られているようです。
(実は、それでもOKなんですが)
(しばらくNPO関連を書いてきたので、気分転換したいと思います。)
実際、不登校については、一緒にずいぶん悩んできました。
いや、現在進行形です。
でも、不登校と言っても、いろんなケースがあります。
小学生か、中学生か、でも違いますし、
行かなくなって、どのくらい経っているのか?
学校では、どんな子どもだったのか?
その子その子で、対処が違うんだ、ってのが
つくづくわかってきたことです。
でも、逆に、「学校へ行かない」ことを
「不登校」という特殊問題として考えてしまう方が、
問題なんじゃないか、って思います。
ここには、様々な「思い込み」が、
べったり張り付いているように思えます。
「思い込み」それも、「否定的な思い込み」で悩んでいるのです。
じゃあ、思いこんでいる、とらわれからの解放という切り口で見れば、
不登校問題も、一般的な悩みの解消パターンと同じになります。
先日、ルビンの盃で見たように、
心の世界では、私たちの見方を離れた「事実」など
存在しません。
心はいつも、感情で色づけしており、
その価値判断で世界を眺めています。
世界は、一つの見方が正しいとは、言えないのですが、
なぜか、自分のこととなると、
一つの見方から抜け出せないものです。
「私の問題が、自分の見方次第で、どんなふうにも見えるなんて、
そんなのありえない!」と否定してしまいます。
実は、その囚われこそ、悩みの本質だと思います。
「自分は、人から好かれ、認められなければならない」
というのも、すごい思い込みです。
「自分の能力があることを、示さなければ、自分は価値がなくなる。」
これも、一面的な見方に過ぎません。
「学校には、毎日行かなければならない。」
これが、どうしても、心の底にあるから、苦しいのです。
「様々な問題には、正しい答えがある。」
ってのも、思い込みです。
不登校で悩む子は、マジメな子が多く
「道徳に反することは、自他共に、厳しく罰せられるべきである」
って、思いこんでいるんじゃないでしょうか?
さらには、
「望んでいるように、ものごとが進まないことが、
とても恐ろしいこと、破滅的なこと」と考えている場合があります。
これらの考えや、信念は、冷静に見れば、
非理性的なものです。
これらの否定的な思い込みには、特徴があります。
それは、評価の基準が他人にあることです。
自分の満足の度合いを他人から計ることです。
そうして、それ以外の思考パターンには目がいかず、
うまくいかなかった場合、自己評価が、極端に低くなることです。
この蟻地獄に入ってしまうと、
どうやってここから脱出しようと、考えるよりも
悩みそれ自体を考えることで終始してしまうようです。
蟻地獄の外に意識を向けるんじゃなくて、
地獄の底ばかり見てしまうのです。
私も、ついつい使ってしまうのですが、
「~するべきだ」、「~しなければならない」
「~するはずがない」という言葉は、とにかく警戒したいものです。
誤解を恐れずに言えば、
不登校の子に、「どうしてそうなったんだろう」と
原因を探ろうとするのは、意味がなく、
かえって、蟻地獄にはまらせる悪手だと思います。
原因さえ取り除けば、悩みが解決するだろうと考えてしまいますが、
同じ原因でも、悩む人と悩まない人がいることを見れば分かるとおり、
一方的な思い込みに囚われる姿勢こそが、悩みの正体なのです。
だから、蟻地獄から、抜け出す秘訣は、
「これから、どうしたいか」に意識を向けることです。
でも、悩んでいる人は、
なかなか、「こうなったらいい」という
肯定的なものの見方ができません。
これこそが、悩みの悩みたる所以なのですが、
すぐに、決めつけてしまうのです。
明るい見通しなどあるわけがない、と。
こんな風にありたい、と思っても、
すぐに、「そんなふうになるわけがない」という考えが、
しつこく襲ってきます。
理想の状態は、空想であって、あるわけがなく、
嫌な状態こそ、現実で、正しいのだ、と思ってしまうのです。
理性的に冷静に考えれば、どちらの見方も、将来に対する一つの見方に過ぎないのに、
いろんな見方を、いろいろ味わってみるだけなのに、
「こうなりたい」と思ったとたんに、
そこに別の見方をすぐに、くっつけてしまうのです。
私は、理想の状態をイメージして、それを念じれば叶うんだ、
ということを言ってるわけではありません。
(それは、そちらの専門家に任せます。)
念じるんじゃなくて、一歩前に踏み出す行動ができるか、なんです。
否定的な思いを、いったん、脇にオイトイテ、
どうなりたいか、に意識を向け、自然に一歩を踏み出すのです。
松下幸之助さんが、経営の極意ということで、
「雨が降ったら、傘をさすこと」と言われました。
正に、雨が降ったら、悩まないで、
傘をさすことに意識を集中すればいいのです。
ところが、大概の悩みを抱えた人は、
私の悩みは、もっと「高尚な」ことだ、
そんな傘をさすようなことで解決するはずがない、
と思ってしまっています。
まず、今、今の今、私たちにできそうなこと、
今、変えられることにだけ意識を集中してみましょう。
原因探し、悪者探しは、やめましょう。
長くなりましたが、寅さん自身のために、ここまで引っ張っちゃいました。