科学寅さんは、
終末期医療に、足を踏み込んでいます。
もちろん、教育の基本は、
誕生、成長、病気、老い、そして死。
愛、誇り、信頼、共生、夢、そして人生。
そのすべてであります。
でも、教育からの見方では、
いかに死ぬべきかは、敬遠されるものです。
いかに生きるべきか、生き抜くべきか、にこだわるものです。
しかし、死を見つめるからこそ、
生も見えてくるものでしょう。
たとえば、尊厳死の議論の中では、
表面的機能の奧にあるものに迫っていけていない
もどかしさがあります。
現代科学でも、当たり前ですが、
まだ人間がどういう存在であるのか、
その“全存在”が究明されていません。
根源的な力について、解明されていない世界があまりにも多いのです。
現代人や、医療関係者、そして科学者は
この事実を謙虚に受けとめなければなりません。
人間の表面的な人格機能が消失したからといって、
果たして生命本体を消去してよい根拠となるでしょうか?
「痛いから死にたい」
「不格好な姿で生きたくない」
は、人間のな願いは、
生命の不思議の消去と引き換えにできるものなのでしょうか?
何と科学寅は、
穂波の郷クリニックのスタッフとして
ここでも、勤めることになりました。
午前中、南中学校に行き、午後クリニックに来ています。
そして、夜は、個人的なつながりのある子どもたちのサポート
つまりは、家庭教師みたいなものです。
クリニックでの修行を綴ったブログを立ち上げました。
こちらは、あくまで教育分野です。
でも、死と両面から迫れば、新しい光が見えてくるような気がするのです。