テーマ:幸せの法則について(475)
カテゴリ:幸せ哲学
「ほめほめ教」の信者(教祖)である科学寅です。
私たちは、子どもたちに、だれもが、 幸せな人生を送ってもらいたいと思っていますよね。
じゃ、愛され、幸せになるためには まず「自分を好きでいること」が 最も大切で最も必要なことなのだ、 って知ってます? そして、それを教えています?
教育界には、まだまだ、 ガツンとぶちかますことに執着している人が いっぱいいて、がっかりするっていうか だからこそ、私の布教活動が意味があるんだって、 最近思い出しています。
私は元クリスチャンでして、 神を讃美することの意義をずいぶん叩き込まれました。
「あらゆる幸せと全きへの最も確実で、 最短の道は何かと聞かれたなら、 誰でも全ての出来事を神に感謝し、 讃美する習慣を身につけることであると 答えるべきである。 どんな不幸と思えることも、 そのことで神に感謝し、讃美するなら、 それは祝福へと変えられていく…」 (ウィリアム・ロウ) 「私は自分のハンディキャップを神に感謝している。 そのことによって私は自分自身を、 自分の仕事を、 自分の神を見出したからである。」 (ヘレン・ケラー)
「神をほめよ」 「神に感謝せよ」 と私たちは(クリスチャンだけかもしれませんが) 軽く口に出してしまいがちです。
以下、「讃美の力」(マーリンキャロザース)より引用しながら、
でも、何かを讃美する、ってことは ある事について賛成を表明し、 積極的に肯定することなのです。 賛成を表明するということは、 そのことを受け入れること あるいはそれに同意することです。 ですから、困難な問題や病気や災難のゆえに 神を讃美するということは 文字通り、その病気や災難が起こったことを 私たちの人生における神の一部として受け入れて 賛成することを意味します。
ある事で神を讃美している時、 その事を感謝していなければ 神を心から讃美するということはできません。 また、私たちはどんな事でも感謝するとき その事について本当に喜んでいるのでなければ その事を本当に感謝することはできません。 ですから、讃美するとは、感謝と喜びの両方を含んでいるわけです。
そして、神を本当に讃美すると (現状をすべて感謝すると) 本当に本当に奇跡的なことが起きてくるのです。
私は、でも、今は、 神は自分の中にある、 いや、一人ひとりの中に、神の本性がある と思っています。
なぜなら、現状は今の自分が創り出しているものだ と考えるからです。(ほとんど無意識にですが) 現在の状況を 「前世や誰かのせい」にするのは、認識論的に、間違いだと思います。 そうでないと 自分の人生は自分では切り開くことはできないのです。
いろんな人が言っているように というのは、真実だと思います。(科学的には証明できないですが)
私自身、身の回りに起こることには全て意味があると思い、 全てを受け入れようと考えるようになったら 身の回りに変化が起こり始め、 次第に大きな転機を迎えることになりました。
自分がこの世界を創造しているのですから ほとんど「自分=神(または神の一部)」と考えていいと思います。
だから、神を愛するとは、 自分を卑下することではなく、 自分を愛することなのだと思うのです。
そう考えると、「自分を好き」だという子ども(大人もですが)が 極端に少ないことに、特に日本の子どもの場合ですが 危機感を覚えます。
「好き」ということは、 「愛している」「肯定している」「受け入れている」 「認めている」「尊重している」などの意味を含んだ プラスの思いが込められています。 ですから「自分が好き」という言い方の中には、 「自己肯定感を持っている」 「自分の命を大切に思い、いとおしんでいる」 「自分の存在を価値あるものと信じている」 「誇りを持って生きている」という意味が込められています。
もしもその子が、自分の人生の主人公を嫌い、 否定的に思っているとしたら、 その子の人生はいいものにはならないでしょう。 しかし、もしその主人公を肯定し、 受け入れ、大切に思うならば、 当然その人生は幸せなものになるでしょう。
人から愛されたいと思ったら、 自分を愛する努力をするべきなのです。 そうすると人を愛することがじょうずになります。 何より、人を愛すれば、あなたもまた愛されるでしょう。
ご自分の内に、解放されるべき心の苦しみをもってらっしゃいます。 まず、それを癒してあげましょう。 そうして自分に優しくし、自分を認めてあげましょう。 そうするうちにあなたは、子どもを心からかわいいと思っている自分を発見するでしょう。
よく、「自分なんか好きじゃない」とか「きらいだ」と言う人の方が 真面目な人だと思われています。 しかし、その考え方では、現状は変えられません。 だいたい、それでは、私の内側の無意識の自分が いじけてしまって、パワーが出てこないのです。
いくつもの深い意味が込められていると思います。 きっと私が今、考えている以上に、 もっと奥深く、幅広く、宇宙的な意味が込められているのでしょう。
そして、ほんの少しでも 「自分を好きになりたい」「もっと好きになろう」と、 思った時から、その思いの持つ、 深い宇宙的なエネルギーが 私たちの人生を本来の意図通りに動かし始めるのです。 人にはそれは奇跡に見えるかもしれません!
教師はそのお手伝い役であり、 まずもって、教師こそが「自分大好き人間」でなければならないのだと思います。 もちろん、親もね。
「きらいだ、嫌いだ」と思うのではなく、 「好きになりたい」「好きになるんだ」という前向きな思い方に変えてみましょう。
今日も緩和ケアのブログに、 ステキな記録を書けそうです。 一見、傍観者のようですが、 これを認識できている自分自身こそ ステキだなあ、って自分をほめています。
追伸、この一週間だけで、 二桁の学校や児童館から、実験教室の依頼をいただきました。 本当にありがたいことです。うれしいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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