カテゴリ:幸せ哲学
今、私は、在宅緩和ケアを支援する 「穂波の郷クリニック」のスタッフでもあります。
緩和ケアというと、いわゆる「終末期」の患者さんへの 対処方法で、一種の医療の敗北のように思われてきました。
しかし、現在では、すべての治療が 最初から緩和ケアなんだということに、 頭が切り替えられてきました。
これまでは、苦痛をこらえて、 寝たきり、そしてスパゲッティ状態で生きることが 「人間の尊厳」を損ねると、 「尊厳死」の法制化を求める運動へとつながっていました。
しかし、緩和ケアの技術の進歩により、 どんな状態でも、限りなく痛みが無いようにできるものですから、 それぞれの状態で、 前向きに生き生きと過ごすことが可能になってきました。
そこで、あらためて、考え直されているのが、 人間の「尊厳」というものです。 今までは、健康状態を100点として、 死を0点として、 その間に、「尊厳」の評価の階段があったわけです。
でも、本来、人間の尊厳ってのは、 その健康状態などで、変わるものではないことは当然です。
あと数日の命だって、全く尊いものです。 車椅子になったからって、 五体不満足になったからって、 尊厳は、これっぽっちも損なわれていません。
そこをはっきりさせないうちに、 「尊厳死」をすすめることは、 大きな危険性をもっています。
そもそも、日本の教育では、 差をつけることには敏感ですが、 どんなことをしても減らない 根本的な尊厳については、 熱心に教えて来なかったように思います。
差をつけることも、それは必要です。 しかし、差をつけて評価できるってものは、 そもそも、はっきり言って、どうでも良いものです。 本当に大切なものは、評価もできないものです。
日本の生徒の自尊心が、著しく低いことから そんなことを考えています。
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