カテゴリ:世界がワクワク・ドキドキになる魔法
いろんな子と出会わせてもらっております。 大人に対しては、すぐ批判的な見方をしてしまう私ですが、 子どもに対しては、 どうして、こういう行動やモノの見方をしてしまうんだろうか? って、興味の対象になっちゃうんですね。
どんな悪たれの子でも、 どんな鼻もちならない子どもでも、 それぞれ、自分を成長させよう、よりよくなろうと 精一杯あがいている。
だから、単純には怒る気にはなれない。
子どもたちは 人間理解を導いてくれる師匠です。
でも、本当は、大人に対しても、同じように見るべきなんですね。 誰もが、それぞれの立場で修行中の身なんだから。 そう、手を合わせずにはおられない貴い存在です。
ところで、私の担当の小学生に 間違いを極端に恐れる子がいます。 ある意味、近代学校教育の典型的な犠牲者です。 学校や先生の前でリラックスできないトラウマをつくってしまっているのです。 学習意欲をかきたてるのではなく、 失敗への恐怖心をあおって勉強させようとしています。
私は、実験教室の時、必ず言っていることがあります。 「間違うのは、自分のアタマを使っている証拠 もし、全部当たってる人がいたら、 その人は自分の脳ミソを使ってないと思って間違いない。」
この認識論は、オイトイテ、 完全主義とも言える、失敗を恐れる思想の背景には 人間観の貧困があると思います。
覚えるべきメニューを上の人間があれこれ決めて それに対する達成率によって評価する という姿勢。 異常ですよね。(そう思うのは、私だけか?)
そうじゃないんだ、 発達障害の子も、問題行動の子も、 犯罪者も、麻薬に手をだした人も、 み~んな真面目に、自分の魂の課題を生きている。 あのヒトラーだって、そうだ。
いや、もしかして、動植物だってそうに違いない。 その姿勢において、何の差別もないのだ。 手を合わせるべき存在なんだ。
と私は思っています。
この考えも、特殊でしょうが、今、私はそんな感覚をもっています。
ともかく、学校教育は、 人間というものを、まだまだ国益の観点から観るクセが 全然取れていません。 どっぷり浸かっています。 疑問の余地の無い常識になっています。
真の「人間」の「人間」による「人間」のための教育は、 夢のまた夢なんだろうか? いや、実現できるはずだ。
実は、これこそが、民主主義、 お題目でなく、精神的な中身としての民主主義だと思います。 教育が、その国民の人間観の本音を表しているとすれば、 スピリッツから民主的な教育ができるかどうかが、 民主的な社会の指標のはずです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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子どもたちに絵を描かせる時に、「今日は上手に描いちゃだめだよ。今日は変な絵を描こう。」と言って描き始めるとみんなびっくりするくらいすごい絵を描きますよ。
(2009.09.28 18:42:29)
今日、上の娘(高1)が「希望者が受ける模試、受けたほうがいい?」と聞いてきました。
昨日、「大学には行かずに就職する」と言っていたのに・・・? 昨日までは、進学か就職かを親が決めてくれないとスネていましたから、 きっとまだ自分に自信がないのでしょう。 本音は、模試の日におばあちゃんが行く予定にしている 「お遍路さん」に行きたいようでした。 まだまだ民主主義へのリハビリが足りません。(苦笑) (2009.09.28 23:44:51)
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