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夫は「クレーマーで有名」、対応苦慮した市が監査対象から夫婦除外…住宅扶助詐欺
約2年8か月にわたり岩手県外のホテルに宿泊していた夫婦が、盛岡市から生活保護費の住宅扶助計約1440万円をだまし取ったとして詐欺罪に問われた事件で、市が県の監査対象となる支給対象者のリストから、夫婦を除外していたことがわかった。15日に盛岡地裁であった妻の公判で弁護側が指摘。市が取材に事実関係を認めた。 公判などによると、夫、夫の父親と盛岡市内で暮らしていた妻は、2014年10月に家賃滞納で立ち退きを命じられた後、同市の扶助を受けながらホテルで生活。市は3人家族に対する扶助の上限額を月4万円と定めていたが、妻らが受給した額は月約45万円にのぼっていた。 これについて、弁護側はこの日の公判で、市が「クレーマーとして有名」だった夫への対応に苦慮し、扶助の支給が恒久化していたと指摘。市は支給が法的根拠に乏しいと認識しながら15年度以降、県の監査で指摘されないよう支給対象者のリストから夫婦を除外したとした。(以下略) --- 盛岡市の対応がけしからん、ということになるのでしょうが、色々な修羅場の話を聞いている私としては、とても世間の声と一緒になって「盛岡市けしからん」と唱和する気にはなれません。 通常、「家賃滞納で立ち退きを命じられた」生活保護受給者は、無料低額宿泊所(無低)あるいは厚生施設と呼ばれる住所不定者向けの宿泊施設に入ることになります。ただ、これは基本的に単身世帯を前提としている施設です。夫婦と妻の父親という3人世帯だそうで、その時点で生活保護の枠内で入れる施設は極めて限られます。東京23区であれば、特別区人事厚生事務組合が家族で入所できる宿泊所、宿所提供施設を運営していますが、そういった施設をどこの自治体でも持っているとは限りません。 東京23区の場合でも、施設はあっても空き部屋は少ない、また入所期限が定められているのに、その期日までに次の行き先を決められず居座ってしまいトラブルになる例はそう珍しくはないと聞きます。 盛岡市は小さな町ではないので、単身のホームレスを対象とする無料低額宿泊所くらいはあるかもしれないですが、家族向けの宿泊所はないのでしょう。クレーマーであること自体も大問題ですが、この状況に対応できる社会的資源がない、ということもまた、大きな問題です。一切クレームなど言わない従順にな人物だったとしても、この家族構成の受給者が突然「家賃滞納で来週追い出されます」と言い出したら、対応には相当苦慮するでしょう。 あえて言えば、このクレーマーが男の単身者だったら、怒鳴り散らされても何でも「無料低額宿泊所(あるいは厚生施設とか、住所不定者向けの施設)に入りなさい、他に選択肢はない、嫌なら路上にいたら?」くらい言い切ったかもしれません。しかし、相手が女性や子どもや高齢者だと、なかなかそういう対応はしにくいものでしょう。そこに悪質クレーマーという属性まで加わるのですから、もうどうにもなりません。 ある日突然、札付きの最悪クレーマーがやってきて、「アパートを追い出された、住む場所をなんとかしろ」と迫られて、緊急避難的にやむを得ず、数日間のつもりでホテルに宿泊させたら、そのまま居座ってしまった。通常こういう場合は、大至急次のアパートを探させるものだそうですが、本人が高望みしてアパートを組めない、あるいは滞納で強制退去になった経緯から不動産屋の審査が通らない、などによって、いつまでたっても転宅先のアパートが決められない、他の施設に移らせようと思っても、前述のとおり、そんな施設はないか、あるいは本人たちが居座って動こうとしない。多分、二進も三進もいかない状態がずっと続いたのでしょう。 結局、このような状況では究極の選択を迫られることになります。つまり 1.この対応のように不正には目をつぶって過大な住宅扶助を払い続ける(でも、結局は最後には露見する) 2.どんなクレームを言われても、また、たとえこの夫婦とその親がホテルを追い出されて路上で野垂れ死んでも(盛岡の冬は寒そうですからね、路上生活では凍死の可能性が高いでしょう)、規定の住宅扶助以上は一切出さない。 いや、もちろん 3.きちんと説得して早々に規定の家賃額のアパートに転宅させる というのが正しい選択肢なのは言うまでもありませんが、説得しても聞く耳を持たないからこういう状況になっているわけです。 ある意味、「無敵の人」の無敵たる所以は、自分自身の命さえ脅しの材料にできてしまう、ということです。失うものが何もない、自分の命すら惜しくない人と、守るものがいっぱいある人がこういう種類のチキンゲームをやったら、「無敵の人」にはかないません。 ただ、人間は不老不死ではありません。どんなに優れた医療でも、あるいはどんなに優れた社会保障制度でも、全員の命を救えるわけではない。そう考えれば正しい制度の運用の結果人が死んだとしても、それは不可抗力としか言いようがありません。少々ドライな言い方ですが、そう割り切るしかないだろうと思います。 従って、盛岡市の対応は間違っていたのは間違いありませんが、では自分がその立場にいたら間違わなかったかと言ったら、そんな自信なんか全然ない、というのが正直なところです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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