「斎藤さん、失礼します。」
執事見習いの鷹田が浴室に入ると、そこは一面、白い湯煙が立ち上っていた。
「旦那様がご入浴される。」
「こんな時間に、ですか?」
「旦那様は気紛れだ。旦那様のご要望を叶えるのがわたし達執事の役目。鷹田君、ここはわたし一人で充分だから、部屋で財務処理をしたまえ。」
「は、はい・・」
鷹田が慌てて浴室から出て行くのを見送った斎藤は、深い溜息を吐いた。
ロゼがあの忌まわしい事件で亡くなり、人手が足りなくなった土方家は急遽新聞に求人広告を出し、数人の求職者が土方邸を訪れ、斎藤と土方が彼らに面接をした結果、鷹田を採用した。
元士族の三男坊で、食い扶持に困り高給につられて土方家の執事見習いとして働き始めた彼であったが、主である土方とその子ども達の食事の支度や、土方家の財務処理、彼らの身のまわりの世話に至るまで、執事の仕事は彼が思っているような単純なものではなく、数日もすると執事の仕事に嫌気がさしてきた。没落した士族の出といえども、ほんの数十年前までは大名の家臣である「若様」として周りからちやほやされていて、時代が江戸から明治に代わり、薩長が政権を握っても彼は定職に就かず、ぬるま湯の中に未だに浸かっていた。
しかし、そんな彼をいつまでも両親が放っておく筈もなく、鷹田が再三一高受験に失敗し、博打に明け暮れた末に借金塗れになったことを知った彼らは、有無を言わさず彼を家から叩きだした。
無一文で飲まず食わずの生活を送っていた彼がふと手にした新聞に載っていた求人広告を見て、土方家へとやって来たのだった。
「次の方、どうぞ。」
自分の順番が来た時、鷹田はこんな汚い格好で面接に臨むんじゃなかったと、激しく後悔したが、金がないので服を新しく誂えることもできない。
「これから執事になろうってもんが、薄汚い格好だなぁ。」
部屋に入り、主人の土方歳三が開口一番、そう言って鷹田を見た。
「申し訳ありません、金がなくて・・」
「ふん、どうせ博打で借金に塗れて家から追い出されたんだろう?」
「は、はぁ・・」
「ま、ここにいりゃぁ金にも食うものにも困らねぇよ。採用だ。」
あっさりと土方家の執事見習いとして採用された鷹田だったが、上司である執事長の斎藤は、常に彼が仕事を怠けていないか目を光らせており、息苦しくてかなわなかった。
(まぁ、道端で野垂れ死ぬよりはいいかもな。)
算盤を弾きながら、鷹田はそう思い、帳簿と睨めっこしていた。
「もう財務処理は終わったのかね?」
「は、はい。」
「見せなさい。」
斎藤はそう言うなり、鷹田の手から帳簿を取りあげると、数字が間違っていないか逐一確認した。
「間違いがないな。もう部屋に戻ってよろしい。」
「では、失礼します。」
鷹田がそそくさと自分の部屋から出て行くと、斎藤は溜息を吐きながら椅子に腰を下ろした。
「ロゼの方が、少しは使い物になったが・・あいつは怠け癖があるから目が離せないな。」
眉間を人差し指と中指で揉みながら、斎藤は生意気で撥ね返りな性格だった執事見習いを思い出していた。
「ふぅ、良い湯だったぜ。」
一方浴室では、熱い湯に首までつかり疲れを取った土方がそう言って豪快な水音とともに湯船から上がった。
主の濡れた身体を鷹田が咄嗟に拭こうとしたが、土方はそれを手で制した。
「斎藤とはどうだ? 仲良くやっているか?」
「仲良くは・・それよりも旦那様にお聞きしたいことがあるのですが。」
「俺に聞きたい事?」
「はい・・斎藤さんは、いつから土方家に?」
鷹田の言葉を聞いた土方の瞳が、すっと険しい光を宿した。
「それはお前ぇには話せねぇよ。聞きたかったら本人に聞くんだな。」
「は、はい・・」
鷹田と入れ違いに、斎藤が浴室に入って来た。
「失礼致します、旦那様。」
「斎藤、新人の教育はちゃんとしておけよ。後で面倒起こす前にな。」
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