「あなた、英語は話せる?」
「はい・・」
人気のないバルコニーへとアレクサンドラ皇后に連れて行かれた椰娜(ユナ)は、突然英語でそう聞かれたのでそう答えた。
すると、彼女は満面の笑みを浮かべて椰娜を見た。
「わたしね、イギリスで育ったのよ。だからロシア語をマスターするのには苦労したわ。」
「そうでしたか。わたしは日本でアレクセイさんから英会話と外国語を徹底的に叩き込まれました。」
「そうなの。まだこの社交界には慣れない?」
「はい。初めて宮殿に入った時、皆さんとても洗練されているように見えて・・」
「みんなはじめはそうよ。わたしだって宮廷入りした時は緊張してしまったもの。」
皇后はふと昔を懐かしむかのように空に浮かんだ月を眺めた。
「わたしはね、母を幼い頃に亡くして、祖母に育てられたのよ。でも祖母は厳しい人でね・・あなたはどうなの?」
「わたしの母は、わたしが生まれた後すぐに亡くなりました。孤児になったわたしは養母に育てられ、そこで人として大切な事を教えられました。」
「そう、わたしにもそういう方がいればよかったわ。祖母は偉大な方だったけれど、母の代わりにはなれなかったわ。」
椰娜は、皇后の澄んだ瞳の奥に、母を早くに亡くした幼子の姿が見えたような気がした。
『皇后様、もうそろそろお時間です。』
『わかったわ。』
女官に声を掛けられ、皇后は椰娜の手を握った。
『また会いましょうね。』
『はい、皇后様。』
椰娜がバルコニーからニコライ達の方へと戻ると、アナスターシャが椰娜に駆け寄ってきた。
『皇后様に意地悪言われなかった?』
『いいえ。ただ皇后様は、わたしが宮廷の貴族の方達が洗練されているとお話したら、はじめはそう見えるのだとおっしゃって、わたしを励ましてくれました。』
『まぁ、そうなの。それにしてもあの方は気難しくて、社交嫌いで有名なのよ。皇后様があなたに直接お声をかけて下さったなんて珍しい事よ。』
『そうだったのですか・・』
『これからあなたは注目の的になるわね。少し覚悟しておいた方がいいわよ。』
アナスターシャはそう言うと、そっと椰娜の肩を叩いた。
その時椰娜は、異母姉の言葉の意味がわからなかったが、次第にわかるようになってきた。
『今夜は疲れたでしょう、早くお休みなさい。』
『わかりました。お休みなさい、お姉様。』
『お休みなさい、わたしの可愛い妹。いい夢を。』
寝室へと向かう椰娜に、アナスターシャは投げキスをした。
『アナスターシャ、あなたすっかりあの子と仲良しね?』
『ええ。お母様、何か問題でも?』
『わかっているの、あの子は娼婦の娘なのですよ?』
翌日、友人と観劇に行こうとしようとする娘を呼び留めたオリガは、これ以上椰娜と親しくしてはならないと忠告したが―
『あら、ユナはわたし達の家族でしょう?どうしてあの子と仲良くなってはいけないの?』
『あなたはそう言うけれど、わたくしの立場も考えて頂戴。』
『お母様の立場など、存じ上げないわ。』
これ以上母と口論しても無駄だと思ったのか、アナスターシャはさっさと出掛けて行ってしまった。
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