ルドルフとマリア=ヴァレリーとプラターを楽しんだ日の夜、環が自室で寛いでいると、誰かがドアをノックする音が聞こえた。
『どなたですか?』
『わたくし、アンネリーゼと申します。皇太子様からあなた様への贈り物を預かっております。』
『そうですか、今開けますのでお待ちください。』
環がドアを開けると、そこには正方形の箱を抱えた見知らぬ女官が立っていた。
『有難う。』
『では、これで失礼いたします。』
環が箱を受け取ると、女官はそそくさとその場から去っていった。
(何だか変な人だったな。)
女官から受け取った箱を開けると、中にはデメルのザッハトルテが入っていた。
夜眠る前に甘い物を口にしてはいけないと小春や優駿からは厳しく言われていたが、一口だけならいいかと思い、彼はザハットルテを一切れ頬張った。
環の口の中に甘みが広がったが、その後すぐに強烈な苦味が広がった。
(何これ?)
慌てて助けを呼ぼうと、環は声を出そうとしたが、息が出来ずに床に崩れ落ちた。
『タマキさん、どうなさったのですか?』
『どうした、ゲオルグ?』
『殿下、タマキさんのお部屋をノックしたのですが、中から返事がないのです。』
『退け。』
ルドルフはそう言ってゲオルグをドアの前から下がらせると、それを蹴破り部屋の中へと入った。
するとそこには、床に崩れ落ちて意識を失っている環の姿があった。
『ゲオルグ、ヴィーダーホーファー博士を呼べ!』
『は、はい!』
『タマキ、しっかりしろ!』
ルドルフがそう言って環の頬を叩いたが、環は時折苦しそうに呼吸を繰り返していた。
(一体タマキに何が・・)
ルドルフが部屋の周りを観察すると、ソファの上にザッハトルが入った箱が置かれていた。
『タマキ、あの箱はどうした?』
ルドルフが再度環の頬を叩くと、彼はゆっくりと目を開けてルドルフを見た。
『ルドルフ様・・わたし・・』
『今侍医を呼んだ。あの箱はどうしたんだ?』
『ルドルフ様が贈ってくださったのではないのですか?』
『わたしは贈った覚えなどないぞ。』
ルドルフが自分にザッハトルテを贈っていないことを知った環は、突然激しく咳込んだ。
『どうした、タマキ?』
『息が出来ない・・』
環は薄れゆく意識の中で、ルドルフの手をそっと握った。
環が何者かに毒殺され未遂に終わった事件は、瞬く間に宮廷中に知れ渡った。
彼にデメルのザッハトルテを渡した女官の素性やその消息は明らかにならず、彼女にザッハトルテを環に贈るよう指示した者も判らなかった。
『タマキの様子はどうだ?』
『ヴィーダーホーファー博士が素早く処置してくださったお蔭で大事には至りませんでしたが、未だにタマキの意識は戻りません。皇太子様は、タマキが倒れてからタマキの部屋で寝泊まりをしています。』
『そうか・・』
『皇太子様にも困ったものです。帝国の継承者たるお方が、執務を蔑ろにするとは・・』
『放っておけ。今はあいつの好きなようにさせたらいい。』
ルドルフは東洋の国から来た舞姫に夢中になっているという噂を聞いていたが、いずれはその舞姫とやらに飽きて、結婚を考えてくれるようになるだろう―フランツ=カール=ヨーゼフは、そんな風に楽観視していた。
重臣から、またルドルフに関する新たな噂話を聞く迄は。
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