ルドルフと共にサラエボを発った環は、彼がウィーンではなくプラハに向かっていることに気づいた。
『ルドルフ様、ウィーンにはお戻りにはならないのですか?』
『ああ。父上が今朝、わたしに手紙を寄越してきた。そこには、お前との関係を早く断ち、皇太子としての責務を果たせと書いてあった。』
ルドルフはそう言うと、馬車の窓からサラエボの街並みを眺めた。
環の事をどんなに愛おしく思っていても、彼と結ばれることはない。
何故なら自分はオーストリアの皇太子で、いずれは帝国を継ぐ子を儲けなければならない義務がある。
だが、ルドルフは環を手放す気などなかった。
『ルドルフ様、わたしは貴方様と共に居たいです。』
『そうか。ならばこのままプラハではなく、お前の国へ駆け落ちでもしようか?』
『ご冗談をおっしゃらないでください。』
『冗談ではない、と言ったら?』
そう言ったルドルフの蒼い瞳が、射るように環を見つめた。
『ルドルフ様・・』
『お前さえいれば、皇太子の地位などいつでも捨ててやる。この国など、どうなってもいいんだ。』
『いけません、そんな事をおっしゃっては。』
環はそう言うと、ルドルフを抱き締めた。
『どうか投げやりな事をおっしゃらないでください、ルドルフ様。わたしは、貴方様のお傍を決して離れません。』
『本当だな? 本当にわたしから離れないと今ここで誓うか?』
『はい、誓います。』
サラエボから汽車に乗り、ルドルフと環はプラハへと向かった。
『殿下、このような事をなさって本当に宜しいのですか?』
『父上には、プラハで急用があって当分ウィーンには戻れそうにないと手紙を出した。』
『そうですか・・』
ゲオルグは何か言いたそうな顔をしていたが、ルドルフに頭を下げた後客車から出て行った。
プラハに着いたルドルフと環は、プラハ市内のホテルに宿泊した。
『お客様、こちらに氏名と住所をお書きください。』
『わかった。』
ルドルフはホテルのフロントの宿帳に、「ユリウス=フェリックス」と偽名を書いた。
『何故、偽名を使ったのですか?それに、変装までなさって・・』
環はそう言うと、付け髭(ひげ)をつけ変装しているルドルフを怪訝そうな顔で見た。
『プラハにはわたしの顔を知っている者が多いからな、用心に越したことはない。』
『ですが・・』
『ルドルフ、サラエボに居ないと思ったら、こんな所にいやがったのか。』
環とルドルフがロビーを離れ、昇降機を待っていると、二人の背後からヨハンが現れた。
『大公、何故ここにわたしが居るとわかった?』
『ゲオルグが最近お前の様子がおかしいことを密かに手紙で俺に知らせてくれたのさ。』
『申し訳ございません、殿下。』
ヨハンの背後でそう言って恐怖で縮こまっているゲオルグを見たルドルフは苦笑した。
『主思いの良い侍従を持って幸せだな、ルドルフ?』
『煩い。』
少し怒り口調でヨハンにそう言ったものの、ルドルフの顔には笑みが浮かんでいた。
『それで、お前達これからどうするつもりだったんだ? まさか、駆け落ちでもしようっていうんじゃないだろうな?』
『大公には何もかもがお見通しのようだな。』
部屋に入ったルドルフは、そう言って舌打ちすると近くにあったソファの上に腰を下ろした。
『タマキと駆け落ちするのは止めることにした。』
『いつウィーンに戻るんだ?』
『それは一週間考えてから決める。それまでの間、大公には面倒を掛けるがな。』
『ったく、手の焼ける従弟様だぜ・・』
ヨハンは溜息を吐いて眉間を指先で揉みながら、部屋から出て行った。
ウィーンへと戻ったヨハンは、早速皇帝から呼び出された。
『ルドルフは何処に居る?』
『皇太子様ならプラハにいらっしゃいます。暫く考えたい事があるので一週間ほど向こうに滞在するとのことでした。』
ヨハンの言葉に、皇帝は短く唸った後、こうヨハンに告げた。
『ルドルフをウィーンへ連れ戻せ、今すぐに。』
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