『ミリ、久しぶりだな。』
『ああら、誰かと思ったら、わたしを差し置いて謎の美女と浮名を流しているヨハン大公様じゃないの。』
ヨハンがオペラ座の楽屋へ恋人に会いに来ると、彼女は鏡越しに不機嫌な顔を彼に向けながらそう言って頬に真珠の粉を刷り込んだパフを叩き込んだ。
『それは誤解だって言っているじゃねぇか!』
『貴方のその、“誤解”とやらには、もううんざりだわ。』
化粧を終えたミリは、ヨハンを睨んだ。
『もう貴方の顔は見たくないわ、帰って。』
『おいミリ・・』
『聞こえなかった?』
ミリを怒らせたヨハンは、彼女の言う事に従い、楽屋から出て行った。
『ちょっとぉミリ、追いかけなくていいの?』
『いいのよ。どうせ最後にはわたしには泣きついてくるんだから。』
『でも、気になるわねぇ、大公様と踊ったっていう謎の美女。何でも噂によると、綺麗なブロンドの髪と蒼い瞳をしていたそうよ。それに、かなりの長身の持ち主だったのですって。北欧の方かしらねぇ?』
『そうねぇ、あっちの人達は背が高いから。』
踊り子仲間の話に相槌を打ったミリは、ヨハン大公と踊った“謎の美女”の正体が判り、思わず噴き出してしまった。
(何だ、そういう事だったのね。)
『どうしたの、ミリ?』
突然笑い出したミリに、訝し気な表情を浮かべた踊り子仲間が彼女を見ると、ミリは何でもないわと言ってハンカチで目元を拭った。
一方ホーフブルク宮では、ルドルフの“気紛れ”に振り回されたヨハンが憤怒の表情を浮かべながら廊下を歩いていた。
『畜生、あいつ憶えていやがれ!』
『あ、あのぉ・・』
『あん?』
背後から声を掛けられ、ヨハンが振り向くと、そこには狼を目の前にした小鹿のように自分に怯えている年若い兵士の姿があった。
『サルヴァトール大公でいらっしゃいますよね?わたしは、エルンストと申します。』
『自己紹介は後でいい、後で。それで、お前俺に何か用か?』
『あの、これを皇太子様にお渡しして貰えませんでしょうか?』
若い兵士・エルンストは、そう言うと書類が入った封筒をヨハンの前に突き出した。
『嫌だ。渡すのなら、直接お前が本人に渡すんだな。』
『皇太子様と対等にお話が出来るのは、サルヴァトール大公様だと先輩達から聞きまして・・駄目ですか?』
エルンストは何処か小動物を思わせるようなつぶらな瞳でヨハンを見つめて来た。
『解った、俺と共に来い。』
『有難うございます。』
(ったく、何だよこいつ・・調子が狂うぜ。)
自分の後をついてくるエルンストの方をちらりと見ながら、ヨハンはルドルフの執務室へと向かった。
『ヨハン大公様、ルドルフ様なら今外出中です。』
『そうか。おい、聞いたか? ルドルフは今留守だそうだ、出直すぞ。』
ヨハンがそう言ってエルンストの方を見た時、彼はいきなり環の手を握るとその手を大きく上下に振り始めた。
『貴方がタマキ様ですね?こんなにお綺麗な方だとは思っておりませんでした!』
『あの、どちら様ですか?』
『初めまして、わたしはエルンストと申します。兄のゲオルグに代わって、本日から皇太子様付の侍従となりました!』
エルンストの言葉に、ヨハンと環は驚きで目を丸くした。
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