『ルドルフ様、環です。』
『入れ。』
『失礼いたします。』
環がコーヒーとキプフェルを載せたワゴンを押しながらルドルフの執務室に入ると、ソファには緊張で身を固くしているエルンストの姿があった。
『エルンストさん、コーヒーとキプフェルは如何ですか?』
『あ、有難うございます、頂きます!』
『エルンストさん、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。ねぇ、ルドルフ様?』
『ああ。エルンスト、わたしはお前を取って食ったりはしないから安心しろ。』
ルドルフはそう言うと、エルンストを見た。
『そうですか・・』
この部屋に入って初めて、エルンストは安堵の表情を浮かべた。
『いやぁ、噂なんて嘘なんですね。皇太子様は氷のように冷酷で、気に入らない者は容赦ないと言った奴は・・』
『その噂、何処からだ?』
『え?』
エルンストは、自分を見つめるルドルフの瞳が怒りを含んだ冷たい光を放っていることに気づいた。
『何処からそのような噂が出て来た?』
『いえ、それはあの・・』
『ルドルフ様、ただの噂でしょう?』
険悪な空気が漂いつつある中、環がそう言ってルドルフの肩にそっと手を置いた。
『噂など、暇な者が立てるものです。』
『だが・・』
『そんな噂にいちいち目くじらを立ててどうなさいます?貴方には、そんな事を気にする時間がありませんでしょう?』
まるで駄々を捏ねる幼子を優しくあやすかのように、環はそうルドルフを静かに諭し始めた。
『そうだな。済まない、みっともないところを見せてしまったな。』
『いいえ。わたしが悪いのです。』
エルンストはソファから立ち上がり、ルドルフに向かって頭を下げた。
『それにしても、わたしが冷酷で人非人のようだとは・・酷い言われようだな。』
『ルドルフ様は、自分に敵対心を持っていらっしゃる方に対しては手厳しいですからね。』
環はそう言うと、ルドルフに笑った。
『お前は、いつもわたしに容赦ないな。』
ルドルフの言葉に、環はクスクス笑い、キプフェルを一つ摘んだ。
『良かった、初めて作ったので上手く作れるのかどうか不安だったのですが、美味しく出来ていました。』
『お前、まさか味見なしでわたしにそれを食べさせるつもりだったのか?』
『あら、バレてしまっては仕方がないですね。』
環はそう言うと、舌を出した。
そんな二人の様子を、エルンストはソファに座ってボーっとしながら見ていた。
『エルンスト、何をそこでボーっとしている。この書類を皇帝陛下の元へ持っていけ。』
『は、はい!』
慌ててソファから立ち上がったエルンストは、一口も口をつけていないコーヒーを零してしまい、その熱さに悲鳴を上げた。
『まったく、何をやっているんだお前は!』
『す、すいません・・』
『エルンストさん、ここはわたしが片付けますから、行ってください。』
ルドルフから書類を受け取ったエルンストは慌ててルドルフの執務室から出て行った。
『おっちょこちょいだな、あいつは。この先あいつと上手くやっていけるのかどうか・・』
『まぁ、何とかなりますって。』
『タマキ、書類仕事をして目が疲れた。お前の膝の上で休んでもいいか?』
『えぇ、どうぞ。』
環がそう言ってソファに座ると、ルドルフは彼の膝の上に頭を乗せ、靴を履いたままソファに寝転がった。
ルドルフが数分もしない内に寝息を立てるのを傍で見ながら、環は彼を起こさぬようそっと少し冷めてしまったコーヒーを飲んだ。
(エルンストさんとルドルフ様、これから仲良くなれそうですね。)
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