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約6年前の30歳のときに私の人生は大きな方向転換を余儀なくされました。
透析になっちゃったのです。 まさに人生真っ暗闇、閉店ガラガラ、な気分になりました。 人生の希望何もかも奪い取られたような気になりました。 一番ショックだったのは特に海外旅行、結婚、子供をあきらめなければならないと思ったことでした。 しかしそれにめげずにできる限りのことはやろうと決心し、まずは透析を始めて4ヶ月後に友人の助けも借りつつ海外旅行に出かけました。 それから透析によりそれまで働いていた会社の部署を変わったんですが、そこで知り合った今の夫とも縁あって透析を始めた翌年に結婚しました。 何でもあきらめたらあかんなーと思いました。 でももう一つあきらめきれないものが残っています。 子供です。 透析をしながら、出産された方もごくまれにいらっしゃいますが、母子ともにかなりのハイリスクです。 少しでもリスクを少なくして自分で子供を生むために残された唯一の手段は腎臓移植でした。 でも腎臓移植というと、もちろん、一人ではできません。必ず誰かの腎臓が必要なわけです。 ひとつは献腎移植(脳死の人の腎臓を貰う)です。これには登録して、かなりの時間をかけてやっと順番がまわってくる、あるいは一生順番がまわってこないのが現状です。順番がまわってくるといっても、宝くじよりも当たらないといわれています。 それではもうひとつの移植はというと生体腎移植です。これは元気な人から腎臓を取り出してもらってもらう方法です。たいていは家族からです。 でもいくら家族でも元気な人のおなかをわざわざ切って、腎臓を取り上げるわけですから、早々簡単に言い出せるものではありません。かなり心の葛藤をしましたが、両親にお願いしてみました。それで検査をした結果、父との血液が一番相性が良いということがわかりました。 しかし父も仕事があり、すぐにやめれない状況だったので、話しをしてから、2年後の2007年にはいって、やっと決断をしてくれました。 私も30代で出産するには移植から、2年ほどは経過を見ることも考えて、もうそろそろタイムリミットに入る時期でもありました。 そこで今までのことや、これからの腎臓病や、透析、腎臓移植に関することを記録しようと思い立ち、ブログを開設することになりました。 また←こちらのフリーページには透析や移植について自分自身が疑問に思っていたことや、友達などから今まで聞かれたことのある質問などを普段の話し言葉の大阪弁を使って、亀田興毅風の口調で説明しています(えらそうに聞こえたらごめんね)のでご覧ください。 長くなりましたが、よろしくお願いします。
カテゴリ:退院後の生活
最近あきらかにてっぺんの毛が減ってきました
あっ、また抜け落ちてきた
ひらひら~~~~ポトン
ほら、見てみ、あったあった
『多毛、脱毛』
やって。。。
どっちやねん
ん~~~~~
とにかく
アッコに相談しよう。
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