『休暇』門井肇監督(2008日本)その3
休暇門井肇監督115min(1:1.85)(リウボウホールにて)(つづき)映画は主人公の刑務官・平井が支え役で得た特別休暇で行った家族3人(妻と連れ子)のささやかな新婚旅行のローカル線の車中で平井が居眠りをしている場面に始まり、そこに至るまでの出来事を回想するという形をとっている。監督に直接は無関係に配給会社が書いたことだろうが、1回目に引用したチラシの文には「他人の命を奪うことで得られる幸せは、果たして本当の幸福と言えるのだろうか…?」という見出しが付されている。この文の意味はボクにとっては、「他人の命を奪う」とは「殺人を犯すような資質の者を死刑によって社会から排除する」という意味であり、「幸福」とは「そうした殺人犯を排除した社会一般の人々の幸せ」という意味だ。しかしこのコピーを書いた人にはそんな意図はなかったと思う。前者は「平井が支え役を志願する(あるいは刑務官一般について死刑を執行する)」ことで、後者は「特別休暇を得ての旅行(家族の幸せ)」だろう。しかしここには理論の大きな齟齬がある。平井が支え役を志願しようとしまいと、金田の刑は執行されるし、他の誰かが支え役をする。勿論休暇を得るために支え役を務めることが、死刑という殺人により深く関わることになるという平井の情緒的心情は理解出来る。しかしそれは平井の心情であって、映画の論理や監督の論理であってはならない。この辺の視点の曖昧さがこの映画の最大の誤りであり、観る者を間違った考察に招き兼ねない。平井が刑務官であるということを除いてしまうと、そこには婚期を逸してしまった平井と子連れのシングルマザー・恵の結婚という物語が残る。そこにはなかなかなつかない連れ子との問題もあるだろう。仕事に引きこもっていた平井が結婚という他者と係わりを持つ世界に出ていく姿、過去が語られない恵が人生をこの結婚に賭ける意志、そうしたことが、恋愛結婚ではないからまだ自然な親密さ(愛情)を持たない男女の一種の戸惑いとして、旅館での新婚初夜のシーンで描かれてはいた。しかし死刑の支え役云々という特異性に頼るだけで、そうした男や女の人生のドラマとしては深く描けてはいない。