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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2006.07.28
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(カモメ)阿南陸軍大臣の自刃の理由について「或る情報将校の記録」(中央公論事業出版)によると、著者の塚本大佐が終戦後に林三郎大佐から聞いた話を記しています。

(ウツボ)林三郎大佐は終戦直前、阿南陸軍大臣の秘書官だね。

(カモメ)そうです。林大佐は次のように話したという。「8月12日夜、阿南さんが三笠宮邸に参上したさい、『陸軍は満州事変以降、大御心にそわない行動ばかりしてきた』とのお叱りを受けた。その帰途、自動車の中で、『あんなに強いことを仰らなくとも』と、非常に沈痛な面持ちでつぶやいた。三笠宮のお言葉がよほどこたえたようであった。『大罪』という表現と、三笠宮のお叱りとは密接な関連があると思う」と。

(ウツボ)そこのところは、「大東亜戦争収拾の真相」(芙蓉書房)にも同様に「阿南陸相は、三笠宮邸に伺候し、天皇にご翻意をお願いしていただきたいと宮に訴えた。このとき三笠宮は陸軍のやり方を強く叱責された模様であり、林三郎陸相秘書官の手記によれば『これはひどくこたえたようであった』ということである」と記してある。

(カモメ)もう少しそのあたりをほりさげてみましょう。「自伝的日本海軍始末記・続編」(光人社)によると、昭和二十年八月十二日、午後三時から宮中に皇族が参集され、皇族会議が開かれた。

(ウツボ)皇族会議に出席したのは、秩父宮は病気ご療養中だったが、梨本宮、高松宮、三笠宮、東久邇宮、賀陽宮、竹田宮らだね。

(カモメ)そうですね。皇族の意見は色々出たが、その場で天皇陛下ご自身で説明され、宮様方の協力を求められた。天皇陛下に対して、皇族を代表して梨本宮が「私ども一同一致協力して陛下をお助け申し上げます」と言上された。

(ウツボ)阿南陸相はその皇族会議の終わった夜、三笠宮を訪ねたんだね。「陸軍は大御心に沿わない行動ばかりしてきた」とお叱りを受けた。

(カモメ)三笠宮は翌八月十三日、陸相を突き上げている軍務局の若手将校たちのところにも来られて、「陸軍の若い連中の態度はよろしくない。阿南はじめ皆の行動は聖旨に添わないじゃないか」と詰問された。

(ウツボ)ところが陸軍省軍務局内務班長で、阿南陸相の義弟、竹下正彦中佐は「我々としては、たとえ現に皇位にある裕仁の意に背いても、歴代天皇の御遺訓に従うことこそ真の忠節と考えた」と後に大井篤海軍大佐に証言しているんだよ。

(カモメ)ある意味で、2.26事件の時の獄中の主犯グループと同じ思想が出て来たわけですね。そこまで思想的には追い詰められていた。

(ウツボ)ところで、阿南陸相の自決についてだが、最後に鈴木総理の見解を述べておこう。

(カモメ)資料は鈴木総理の自叙伝ですか。

(ウツボ)そう。鈴木総理は自叙伝の中で、次のように述懐している。「陸相は決して自己の主張する抗戦論が容れられなかったから自刃したという、そんな単純な心境ではなかったと思う。真に国を思う誠忠の人として、最後まで善処され、陸軍部内の心中を思い、自ら犠牲になられた人として、誠に余は尊敬を禁じ得ない立派な人だと考えているのである。もし彼にして偏狭な武弁であり、抗戦のみを主張する人ならば、簡単に席を蹴って辞表を出せば、余の内閣などはたいまち瓦解してしまうべきものであった」と。

(カモメ)確かに阿南陸軍大臣が辞表を提出すれば内閣は総辞職だ。当時の状況では陸軍は次の大臣を出さない可能性があった。

(ウツボ)うーん。恐らくね。だけど、阿南はそうしなかったし、当時の幕僚の計画はどうだったのか。阿南が押さえていたのだが、その展開は分からない。

(カモメ)次に、もう一つ、阿南の言葉を取り上げて見ましょう。阿南は自刃する前に、義弟の竹下中佐に「米内を斬れ」と言っている。

(ウツボ)「一死大罪を謝す」(新潮社)では竹下中佐の証言として「機密作戦日誌」の中で、「それほど意味の或る言葉とは思われません」「そのとき阿南はもうかなり酔っていましたし、「米内を斬れ」と言ったあと、すぐ他の話しに移ったことからも、深い考えから出た言葉でなかったことが分かります」と述べている。拍子抜けだね。

(カモメ)そう。竹下中佐のこの見解も非常に平凡で当たり障りのないものだね。官僚的な答え方だ。前述の「歴代天皇の御遺訓に従うことこそ」とは打って変わって慎重な言い回しですね。

(ウツボ)竹下中佐は戦後自衛隊に入り陸将(陸軍中将)まで昇進し、幹部学校(旧軍の陸軍大学校に相当)の校長で退職している。

(カモメ)そうですね。なにか筋が一本入った人だった。不必要なことはしゃべらない、戦後は沈黙の将軍。さて「米内を斬れ」について、阿南の副官、林三郎氏も「単に口走っただけで、意味はなかったと思います」と戦後語っている。これだけではどうもね。次回でもう少しこのことについて話し合いましょうう。







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最終更新日  2015.09.26 17:53:24


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