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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2006.12.08
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カテゴリ:2.26事件
(ウツボ)その後、岡田首相の生存が迫水秘書官らに伝えられたんだ。

(カモメ)そうですね。ところが、迫水秘書官は、下手にしゃべると、誰が反乱軍のシンパか分からないので、宮内省へ飛んで行き、天皇に岡田首相生存を奏上してもらい、そこで救出作戦を練った訳です。

(ウツボ)もう混乱の中で、誰が敵で、誰が味方か、分かったもんじゃない。疑心暗鬼だよね。

(カモメ)それで「岡田啓介回顧録」(毎日新聞社)には、結局岡田首相は喪服を着せられ、首相官邸に訪れていた弔問客に紛れて反乱軍の間を抜けて脱出させられたと記されています。

<ウツボ)だが、そのあとも岡田首相が生存していたことは秘密にされていた。岡田首相と兵学校同期の竹下勇大将などは、28日になっても葬儀の用意をする様子がないので、とうとう怒りだした。

(カモメ)竹下大将は「こんなことでは岡田は浮かばれん。遺骸を水交社に引き取ってクラスの者だけで葬式を出す」と言って迫水を叱りつけたということですね。

(ウツボ)何しろ、「知らぬが仏」というか、とにかく当局のやり方がおかしいと思ったんだろうね。

(カモメ)話は変わりますが、「私の二・二六事件ー弟の自決」(河出文庫)によると、2月29日には安藤大尉は部下を引き連れて山王ホテルに立てこもりましたね。

(ウツボ)うん、その頃、他の部隊は次々に原隊に復帰していたんだ。ついに同士将校の説得により安藤も第六中隊の兵を引き上げることにした。

(カモメ)兵を整列させて安藤大尉は最後の訓示を行い、第六中隊の歌を涙のうちに合唱した。

(ウツボ)ところが、その最中に安藤大尉は腰の拳銃を抜いてこみかめに当てて引き金を引いたんだ。

(カモメ)覚悟を決めていたんですね。だけど安藤は陸軍病院に送られ一命を取りとめましたね。

(ウツボ)そうだね、弾丸は急所をはずれていた。三日、四日と過ぎ、銃創は日ごとに軽くなっていったと記されているね。

(カモメ)その時ですよね、病院長が安藤のベッドのそばにあるテーブルの中棚に、ひそかに安藤の拳銃を持ってきて置いたのは。

(ウツボ)そう、ベッドから手を伸ばせば届く距離だ。

(カモメ)だが、安藤大尉は実弾のこもった拳銃を二度と握ろうとはしなかったらしいですね。

(ウツボ)そうだったらしいね。あのね、病院長のとった行動は、現代の人から見ると、奇異に思うかもしれないが、「武士の情け」という心情だったと記されているんだ。「自決してほしい」という願いがね。当時はそういう特殊な状況だった。

(カモメ)戦前の思想ですね。今そんなことしたら罪に問われますね。安藤大尉はその後回復して、代々木の刑務所に収容されましたね。

(ウツボ)安藤大尉は一度死んだが、生き返ったとき、第二の生命を賭けて法廷闘争を決意した、と言われている。

(カモメ)「戒厳指令・交信ヲ傍受セヨ」(日本放送出版協会)によると安藤輝三大尉は平素、日蓮宗を信じており、部下を愛すること人一倍で、給料のほとんどは部下のためにさいてしまうほどだったと。

(ウツボ)それで、部下の安藤に寄せる尊敬と信頼は強かったんだ。いくら命令とはいえ、ダラ幹だったら、ああいう状況になってまで兵隊はついていかないよ。

(カモメ)安藤大尉は、秩父宮殿下の信任も厚かったらしいですね。

(ウツボ)そう。陸士38期の安藤は士官候補生として歩兵第3連隊に配属になった。その時の候補生の軍事教官が第6中隊付少尉・秩父宮だった。安藤と秩父宮の交流はこのときから始った。

(カモメ)秩父宮が英国に留学していた時も安藤と心のこもった手紙のやり取りをしていますね。

(ウツボ)うん。こういう話もある。昭和6年だったと思うが、凶作の年だった。秩父宮は中隊長として部下の兵から農村の窮乏などを詳しく聞いていた。その話を勢津子妃によく話して聞かせていたというんだ。そういう人だった。

(カモメ)そういうところが、安藤と心情的に共振されていたんでしょうね。

(ウツボ)そうだろうね、皇族でもね。秩父宮は、思いやりの深い人だったと伝えられている。

(カモメ)昭和11年7月12日、青年将校の処刑が執行されましたが。全員刑架の前で「天皇陛下万歳!」と叫んだが、安藤大尉だけはこれに続いて「秩父宮殿下万歳!」と絶叫したと伝えられています。

(ウツボ)俺は、そこにが忘れられないんだ。「秩父宮殿下万歳!」。安藤は人を信じるという、その信念を、死ぬまで貫いたといえると思う。現代の世の中にも、こういうことは大切と思う。

(カモメ)そうですね。しかし、もし裏切られたら?

(ウツボ)一度や二度、裏切られたぐらいで、信念がぐらつくのであれば、その信念は、たいしたものじゃない。それは信念と言えるのだろうか。悪まで信じぬく。まあ、俺はそう思う。

(カモメ)う~ん。裏切られても、悪までその人を信じぬくと。

(ウツボ)そうだね。

(カモメ)正直俺には無理のような気がします。次にいきましょうか。次に河野寿大尉に触れておきたいのですが、「私の二・二六事件ー弟の自決」(河出文庫)によると、著者、河野司氏は、2.26事件に参加した河野寿(こうの・ひさし)陸軍大尉の兄ですね。

(ウツボ)2.26事件では河野寿大尉は湯河原の牧野伯爵襲撃グループの指揮官として参加したが、負傷し、病院で自決したよね。








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最終更新日  2015.09.13 15:39:10


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