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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2014.04.17
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(ウツボ)桜も散ったね。俺は、今年は何かと忙しくて花見ができなかったけど、カモメさんはクマノミさんと行ったのでしょう。

(カモメ)ええ、岩国の錦帯橋に……、桜もきれいでしたよ。ところで、ウツボ先生、この本を、もう読まれましたか。

(ウツボ)これ……ああ、「黎明の笛」(数多久遠・祥伝社)だね。まだ読んではいないが、どんな本か少しは情報は得ている……一度読みたいと思っていた。

(カモメ)それでは、どうぞ、お貸ししますので、お読みください。著者は航空自衛隊の元幹部で退職された方です。

(ウツボ)そうだね。元自衛官だからこそ自衛隊内部のリアルな描写がふんだんに駆使されている。「陸上自衛隊の特殊作戦群が竹島を奪還した」という皮きりで始まり、自衛隊や日本政府がどう対処するのかという緊迫感あふれる展開となっているようだ。ある種のシミュレーション小説だね。

(カモメ)竹島に上陸した陸自特殊作戦群の指揮官、秋津和生二等陸佐が、航空自衛隊幹部の倉橋日見子三等空佐と婚約をしていたという事実から、情報保全隊から監視され始めた日見子が、真相を探るため孤独な戦いを始める、というエンターテイメント小説でもありますね。

(ウツボ)そうだね。楽しみな小説だ。さて、本題に入りましょう。今から、帝国陸軍の陸軍大学校を卒業成績最優秀のトップ、首席で卒業した軍人の軍歴とエピソードを紹介していくのだね。一期から順に進めよう。

(カモメ)そうですね。「丸エキストラ戦史と旅28」(潮書房)所収、「帝国陸軍と陸上自衛隊」(三根生久大)によると、明治四十年代以降の陸軍では、中央部は勿論、田舎師団に至るまで、およそ枢要なポストは、技術関係を除いては、大尉クラスの課員から参謀に至るまで、その悉(ことごと)くが陸軍大学校出身者で占められていたという事実ですね。

(ウツボ)その反面、“無天”(陸大出であることを証する陸大卒業徽章“天保銭”をつけていない)の将校は、その殆どが隊付き勤務に始終し、その中の優秀者でも、せいぜい幹部の養成機関や実施学校の教官、あるいは司令部の副官ぐらいが通り相場だった。

(カモメ)陸大卒業徽章は江戸時代の天保銭に似ていたことから、俗に“天保銭”と呼んでいたのですが、天保銭は天保六年(一八三五年)以降、江戸幕府が鋳造した楕円形の銅貨で、百文に通用しました。

(ウツボ)だが、天保銭は、明治維新以後は一銭にも満たない八厘となり、価値が下がった。その後明治二十年には廃止された。

(カモメ)陸大卒業徽章の“天保銭”は明治二十年十月七日の勅令第五三号によって制定され、二・二六事件後の昭和十一年五月一日の軍令第三号で廃令されたのですね。

(ウツボ)そうだね。青年将校の起した二・二六事件なども、中央の天保銭組の幕僚ファッショに対する決起だった。その源流は大正十四年の宇垣軍縮に遡(さかのぼ)る。

(カモメ)宇垣軍縮は当時、陸軍大臣・宇垣一成(うがき・かずしげ)中将(岡山・陸士一・陸大一四恩賜・参謀本部第一部長・中将・第一〇師団長・陸軍次官・陸軍大臣・朝鮮総督・陸軍大臣・外務大臣・拓殖大学第五代学長・戦後参議院議員)が行った第三次軍備整理ですね。

(ウツボ)そうだね。宇垣大臣は、永田鉄山中佐を陸軍省動員課長に任命し、四個師団(十六個連隊)、陸軍病院(五箇所)、地方幼年学校(二校)等を廃止し、三四〇〇〇名の将校が首になり、退役に追われた。

(カモメ)問題はその首になった将校の九割までが“無天”だったことですね。これ以後、青年将校運動が起こり、その中核である“皇道派”が誕生しました。

(ウツボ)現代の官僚で言えば、“天保銭”の陸大出身者はキャリア組、“無天”の隊付はノンキャリア組で、“天保銭”は特急列車の如く昇進していくが、“無天”は鈍行の普通列車で、それこそ大尉を七、八年やったりする。

(カモメ)だが、四手井綱正(しでい・つなまさ)陸軍中将(京都・大阪陸軍地方幼年学校・中央幼年学校・陸士二七・陸大三四恩賜・ドイツ駐在・陸大教官・侍従武官・騎兵第二三連隊長・陸大教官・少将・陸大幹事・第一方面軍参謀長・中将・第九四師団長・関東軍総参謀副長・飛行機事故死)はその著書、「戦争史概観」(岩波書店)で次のように述べています。

(ウツボ)読んでみよう。「実戦において名将の名を得し将帥の経歴を見るとき、いわゆる順調なる経歴を有せざる者多く、且つ不遇の時代を含む者少なからず。順調なる進路を辿り、若しくは官衙机上の事務に没頭するものは、ややもすれば意志の鍛錬において欠くる処あるやの感あり」。

(カモメ)一方、陸軍大学校二六期を首席で卒業し、陸軍大学校校長、ボルネオ守備軍司令官、第三七軍司令官等を歴任した山脇正隆陸軍大将は、「陸軍大学校」(上法快男・芙蓉書房)の「序」で、次のように述べています(一部抜粋)。

(ウツボ)読んでみよう。「明治維新この方、勃興記日本を支えて封建制を逐次打破しつつ、国力を培った基礎には、先ず藩閥政治があった」

(カモメ)「その後自由主義の波及するにつれて、いわゆる庶民階級より鋭鋒を現す者を各部門に登用し、これらの人々の研鑽努力により国力は漸次増強の一途を辿り、大正昭和の興隆期を建設し、遂には世界を相手に大東亜戦争を戦ったのであった」

(ウツボ)「この間に於ける国家指導層の人的構成は政治、司法、行政、経済方面には旧帝大出身者、国防部門に於いては陸海軍の大学校出身者を以って頂点とすることは云うを俟たない処である。実に勃興期日本を指導し支えて、その向うべき道を開拓したのはこれらの人的資源養成の最高機関であったといっても過言ではない」。

(カモメ)書籍「陸軍大学校」を発刊するための「序文」だから、山脇正隆大将の寄稿は、このような記述になるのでしょうか。

(ウツボ)そうだろうね。陸軍大学校出身の軍指導者は、国防部門の枠を広げて、政治、司法、行政、経済部門まで踏み込んでいった歴史的事実があるし、「その向うべき道を開拓した」というけれど、開拓した道は、横道にそれて、やがて行き止まりになった。

(カモメ)けれども、この「陸軍大学校」(上法快男・芙蓉書房)の中には、陸軍大学校批判もかなりのページを割いて所収されていますね。

(ウツボ)そうだね。真実を伝えるということには、配慮されているようだ。

(カモメ)陸軍大学校は、明治二十八年十二月二十四日、一期が卒業してから、昭和二十年八月六日に六〇期が卒業するまで、六十四年間に三四八五人の卒業生を送り出しました。

(ウツボ)彼らは、一人一人、陸軍大学校で、陸軍の最高統帥部で決定された用兵上の教義の変遷と、国防に関して国家の定めた各時代の方針事項を基本的知識として学術面に顕現していく、という大きな使命のもとで、三年間、学び研究を行った。

(カモメ)陸軍大学校の卒業成績首席者それぞれの卒業後の最終階級を見てみます。最終階級は、軍務途中で病死や戦死した当時の階級も含みます。また、停年、予備役になっていない人は、昭和二十年八月十五日の終戦時における階級が最終階級となっています。

(ウツボ)だから、いわゆる陸軍大学校の卒業成績首席者がどこまで昇進したかという厳密な調査結果とはならないが、一応、列挙してみる。首席者五十六名の分類された最終階級の数は次の通り。なお、五七期~六〇期は首席が公表されておらず不明なので、除外している。

(カモメ)元帥二名、大将十一名、中将十八名、少将六名、大佐十名、中佐五名、少佐四名ですね。

(ウツボ)もちろん、この結果は昭和二十年の終戦の時点での昇進結果だから、もしその後も戦争が続いていたら、少将は中将に、大佐は少将にというように昇進し続けたことだろうね。









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最終更新日  2015.07.13 17:36:58


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