テーマ:意外な戦記を語る(748)
カテゴリ:陸軍大将異聞
(カモメ)南次郎少尉は、明治三十年十月騎兵中尉(二十三歳)、騎兵第六連隊附。明治三十一年二月陸軍教導団騎兵生徒隊附。明治三十二年十一月騎兵第一三連隊第一中隊附、十二月陸軍士官学校生徒隊附兼同校馬術教官。
(ウツボ)明治三十三年十一月騎兵大尉(二十五歳)、十二月陸軍大学校入学。明治三十四年十一月騎兵第一連隊附。明治三十六年十一月陸軍大学校(一七期)卒業、騎兵第一連隊中隊長。明治三十七年十二月大本営陸軍参謀。明治三十八年三月騎兵少佐(三十歳)、第一三師団参謀、十二月陸軍大学校兵学教官。 (カモメ)明治三十九年四月功四級金鵄勲章、九月関東都督府陸軍参謀。明治四十年五月陸軍大学校付、十月陸軍大学校兵学教官。明治四十三年二月騎兵中佐(三十五歳)、四月兼陸軍騎兵実施学校教官。明治四十四年十月兼海軍大学校教官。 (ウツボ)南次郎中佐は、大正三年一月騎兵第一三連隊長。大正四年八月騎兵大佐(四十歳)。大正六年八月陸軍省軍務局騎兵課長、兼陸軍技術審査部議員。大正八年七月少将(四十四歳)、支那駐屯軍司令官。大正九年十一月勲三等旭日中綬章。 (カモメ)大正十年一月騎兵第三旅団長。大正十一年一月勲二等瑞宝章、二月陸軍騎兵学校長。大正十二年十月陸軍士官学校長。大正十三年二月中将(四十九歳)、八月騎兵監。大正十五年三月第一六師団長、四月正四位。 (ウツボ)昭和二年三月参謀次長。昭和四年八月朝鮮軍司令官、九月従三位。昭和五年一月勲一等瑞宝章、三月大将(五十五歳)、十二月軍事参議官。昭和六年四月陸軍大臣、九月正三位、十二月軍事参議官。 (カモメ)南次郎大将は昭和九年二月勲一等旭日大綬章、議定官、十二月関東軍司令官兼満州国駐箚特命全権大使。昭和十年十二月勲一等旭日桐花大綬章。 (ウツボ)昭和十一年三月参謀本部附、四月待命、予備役、八月第八代朝鮮総督。昭和十二年三月従二位。昭和十七年五月枢密顧問官。昭和十九年三月正二位。昭和二十年三月大日本政治会総裁、貴族院議員、十二月辞職。 (カモメ)満州事変の責任で、南次郎大将はA級戦犯に指名され、終身禁錮刑となった。昭和二十九年仮出獄。昭和三十年十二月五日死去。享年八十一歳。 (ウツボ)昭和六年九月南次郎大将が第二次若槻内閣の陸軍大臣の時、満州事変が勃発した。満州事変が勃発する前に、関東軍がその計画を推進している時、昭和天皇は、南次郎陸軍大臣を宮中に呼び、軍の規律を厳しくするよう注意を促していた。また、元老・西園寺公望も南陸軍大臣を叱責した。 (カモメ)それにも拘らず昭和六年九月十八日、関東軍の策謀により、柳条湖で南満州鉄道の線路が爆破され、満州事変が勃発しました。南次郎陸軍大臣、金谷範三参謀総長ら陸軍首脳は事態不拡大の方針でしたが、結局関東軍の策謀と、陸軍省の中堅幕僚らに引きずられ、事変は拡大していったのですね。 (ウツボ)そうだね。具体的に言い換えれば、満州事変は、石原莞爾作戦参謀、板垣征四郎高級参謀ら関東軍幕僚と、永田鉄山軍事課長、岡村寧次補任課長、東條英機編制動員課長ら陸軍中央の一夕会系の幕僚が連携して計画して引き起こした。 (カモメ)けれども、昭和六年十一月、関東軍が北満のチチハルへの侵攻を計画した時、南次郎陸軍大臣、金谷範三参謀総長ら陸軍首脳は、これを阻止するために臨時参謀総長委任命令(臨参委命)を発動したのですね。 (ウツボ)そうだね。そもそも、配置されている軍司令官の命令系統は天皇直属で、参謀総長でも関東軍司令官に直接命令することはできなかった。だが、臨参委命は、「参謀総長が軍司令官に直接命令できる権限を天皇から委任された」もので、これにより、関東軍に対して参謀総長は指揮権を行使できることになった。 (カモメ)北満は、旧ロシアの勢力圏で、中東鉄道などソ連の権益が存続していました。若槻内閣は国際的な考慮から関東軍の北満への侵攻を中止するよう南次郎陸軍大臣、金谷範三参謀総長ら陸軍首脳に強く求めていたのですね。 (ウツボ)ところで、昭和十一年八月、朝鮮総督になった南次郎大将は、意欲は並々ならぬものがあり、積極的な朝鮮政策をとり、「内鮮一体」を推進した。 (カモメ)「内鮮一体」とは、内地(日本本土)と朝鮮を差別待遇せずに一体にすることで、朝鮮の産業経済、交通、文化を拡充して朝鮮人の民度を内地人と同等まで引き上げることですね。 (ウツボ)そうだね。これは、日本帝国が企図する大陸政策の前衛である兵站基地として、朝鮮を位置付けるものであり、大東亜共栄圏の達成にも必要なものだった。 (カモメ)南次郎大将は、朝鮮総督として在任中の六年間に、具体的な朝鮮政策として、民族語の復活、朝鮮語教育の推進、創氏改名(日本式姓名への改名)の三つの政策を推進しました。 (ウツボ)また、昭和十二年十月、「皇国臣民の誓詞」三条を作成し、朝鮮人民に斉唱させた。昭和十三年二月、「陸軍特別志願兵令」を施行、朝鮮青年を志願という形で日本軍に入隊させた。また、同年五月、「国家総動員法」も朝鮮に施行した。昭和十四年十月には「国民徴用令」を施行。 (カモメ)南次郎大将は「南のあるところ、春風あり」と言われたほど、人情に厚い人物でした。また、明るく、前向きな性格は、誰からも慕われました。 (ウツボ)そうだね。A級戦犯で巣鴨プリズンに収容されたが、その獄中生活も楽しく過ごしていたと言われている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.03.11 07:21:30
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