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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2016.03.18
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カテゴリ:陸軍大将異聞
【本庄繁(ほんじょう・しげる)大将】    

(カモメ)本庄繁は明治九年五月十日生まれ。兵庫県出身。寒村で農業を営む本庄常右衛門の長男。兵庫の鳳鳴義塾中学から、明治二十七年九月陸軍幼年学校入学。明治二十九年五月陸軍中央幼年学校を卒業し、陸軍士官学校入校。明治三十年十一月陸軍士官学校(九期)卒業。

(ウツボ)明治三十一年六月歩兵少尉(二十二歳)、歩兵第二〇連隊附。明治三十三年十一月歩兵中尉(二十四歳)、陸軍士官学校生徒隊附。明治三十五年八月陸軍大学校入校、十一月歩兵第二〇連隊附。明治三七年二月陸軍大学校中退、四月歩兵第二〇連隊中隊長として日露戦争出征、六月歩兵大尉(二十八歳)。日露戦雄では下腹部に貫通銃創を負ったが奇跡的に助かった。

(カモメ)本庄繁大尉は、天皇への忠誠心が強く、その識見、高貴な人格、端正な風貌から、「古武士の風格」と評され、早くも将来の将軍として人望も高かったのです。

(ウツボ)明治三十八年一月陸軍大臣官房附。明治三十九年二月近衛歩兵第二連隊附、三月陸軍大学校復校、四月功四級金鵄勲章。明治四十年十一月陸軍大学校(一九期)卒業。明治四十一年四月参謀本部部員、九月清国出張、十二月北京・上海駐在。

(カモメ)明治四十二年五月歩兵少佐(三十三歳)。明治四十五年六月陸軍大学校兵学教官。大正二年一月参謀本部支那課支那班長、六月兼陸軍大学校兵学教官。大正四年六月歩兵中佐(三十九歳)。大正六年八月参謀本部支那課長代理。

(ウツボ)本庄中佐は、大正七年六月歩兵大佐(四十二歳)、参謀本部支那課長。大正八年四月歩兵第一一連隊長としてシベリア出兵に従軍。大正九年十一月勲三等旭日中綬章・功三級金鵄勲章。大正十年五月参謀本部附(張作霖軍事顧問)。大正十一年八月少将(四十六歳)。大正十三年八月歩兵第四旅団長。

(カモメ)本庄少将は、大正十四年五月支那公使館附武官。大正十五年九月勲二等瑞宝章。昭和二年三月中将(五十二歳)。昭和三年二月第一〇師団長。昭和四年五月正四位。昭和六年八月関東軍司令官。

(ウツボ)当初、関東軍司令官は真崎甚三郎中将が予定されていたが、急遽、真崎中将は台湾軍司令官に親補され、本庄中将に栄達がまわって来た。当時の陸士九期の序列は、真崎中将が一位で、本庄中将が二位だった。

(カモメ)この人事は、真崎嫌いの参謀総長・金谷範三(かなや・はんぞう)大将(大分・陸士五・陸大一五恩賜・オーストリア大使館附武官・歩兵大佐・歩兵第五七連隊長・参謀本部作戦課長・少将・支那駐屯軍司令官・参謀本部第一部長・中将・第一八師団長・参謀次長・兼陸軍大学校長・朝鮮軍司令官・大将・参謀総長・軍事参議官)の采配で逆転したのですね。

(ウツボ)そうだね。だが、本庄中将が関東軍司令官に就任した翌月の昭和六年九月十八日、柳条湖事件が起き、満州事変が勃発した。

(カモメ)この事件は、関東軍高級参謀・板垣征四郎大佐と作戦参謀・石原莞爾中佐らの謀略ですが、軍司令官になりたての本庄中将は、彼ら幕僚にうまく操縦され、了解を与えるしかなく、事後処理も言いなりだった、と一般的に言われています。

(ウツボ)だが、当時関東軍参謀(大尉)だった片倉衷元陸軍少将は、戦後、「本庄が関東軍司令官として着任した時、板垣大佐と二人で『満州で事が起きた場合、中央に請訓して解決を計るのか、それとも与えられた権限を発揮して独断で処理するのか?』と尋ねると、本庄軍司令官は『自分としては慎重に取り扱いたいが、自分の権限内であれば責任を以って独断を以ってしても遂行する』と答えた」と回顧している。

(カモメ)つまり、板垣大佐らの計画に暗黙の了解を与えていたのですね。

(ウツボ)そうだね。しかも満州事変が勃発すると、奉天の関東軍の援護を得るために、朝鮮軍に増援を依頼し、朝鮮軍は中央の命令を待つことなく独断で越境した。このため当時の朝鮮軍司令官・林銑十郎中将は無断で兵を動かした「越境将軍」と呼ばれることになった。

(カモメ)本庄中将はわずか一年で関東軍司令官を武藤信義大将と交替しましたが、帰国したら、本庄中将は「満州の父」と讃えられたのです。

(ウツボ)昭和七年九月本庄中将が宮中に参内した時、昭和天皇は本庄中将に「関東軍の謀略だと聞くがどうか」問い質した。これに対し、本庄中将は「一部でそのような動きがあったと、後で聞きましたが、本職と関東軍は関係していません」と白を切っている。

(カモメ)本庄中将は、後に、この満州事変の論功行賞で男爵を賜りました。

(ウツボ)本庄中将は、昭和七年五月従三位、八月軍事参議官。昭和八年三月勲一等瑞宝章、四月侍従武官長、六月大将(五十八歳)。昭和九年四月勲一等旭日大綬章・功一級金鵄勲章、満州国から大勲位蘭花大綬章。昭和十年六月正三位、十二月男爵。









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最終更新日  2016.03.18 17:54:26


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