中薬の話
登別の温泉街を通り過ぎて山を越えたところに「カルルス温泉」という鄙びた温泉町がある。川淵に建つ古い旅館の露天風呂の傍に大きな「朴の木」が生えていて、6月には甘く上品な香りを放つ大きな白い花が咲く。時季にもよるのだろうが、平日昼間の露天風呂は無人の貸し切り状態で、免許を取ったばかりの頃、温泉好きの母を車に乗せて、登別温泉とは反対の内陸側から中山峠を越え洞爺湖を半周し、オロフレ峠の新緑を眺めながらよくこの古い旅館に出かけて行った。ぬるめの湯は長く浸かっていてものぼせることがなく、崖の斜面にあるので森林浴も楽しめる私だけの「ほっとスポット」だった。★ところで朴の木の樹皮は「厚朴(こうぼく)」といって、中薬(漢方薬)として使われる。厚朴の味は苦辛、性質は温で「理気薬」に分類される。主な作用は行気・降気(「気」を巡らせる、あるいは気をおろす)、消脹(例えば、お腹が脹る感じを取り除く)、燥湿(体内の余分な水分からなる浮腫みや痰を乾かす)で、咳や痰、しゃっくり、吐き気など、胃腸のあたりから上がってくる気を下げる。喉の違和感、お腹が脹って苦しい時、酸っぱい水が上がってくるような感じのときには、他の中薬と組み合わせてそれらの症状を改善する。漢方薬の処方には基本となる理論があって、甘草湯(かんぞうとう)など特殊なもの以外、単味(一味)では使わない。陰陽、表裏、内外、上下、寒熱、補瀉などを調えるように処方するので、厚朴だけ煎じて服用させるような事はしない。一般に「気」というと、何やらミステリアスなイメージがあるのだが、中医学では生理作用、身体機能、エネルギーといった具体的な意味を持つ。「手のひらから気が出る」という話(確かに手掌は暖かいが)は、私の知識とは違う分野になる。中医学では中薬の味(酸味、苦味、甘味、辛味、塩味)や性質(大熱、熱、温、微温、平、微寒、寒、大寒)も大切で、例えば「ショウガ」。乾燥した生姜=干姜(かんきょう)の性質は「熱」なのだが、生の生姜(しょうきょう)は「微熱」である。帰経(作用点)も前者は主として心・肺系だが後者は脾胃(胃腸)系というふうに違ってくる。さらに中薬の軽い物(花や羽の部分など)は身体の上部や表面に、重い物(種や鉱物など)は身体下部に作用すると捉える。★中薬を記録した書物で一番古いとされているのは「神農本草経」だが、明代に李時珍によって編まれた「本草綱目」は読んでいると実に面白い。服器部第三十八巻では錦、絹、綿の他に褌襠(ももひきの「まち」の部分!)や自経死縄(首つりした縄)、死人枕席(死人の寝具)、頭巾、尿桶といったおどろおどろしいものがあるかと思えば、人部五十二巻では、発髪(頭髪)、頭垢、膝頭の垢、汗、涙、人骨までが中薬として記載されている。水部第五巻では雨水、井戸水、露、霜から手足を洗った水までそれぞれに効能効果がまことしやかに記されているが、その真偽のほどは分からない。事ほどさように、古代中国ではもの事を分類し記録するのが大好きだったようだが、その分類が果てしなく広がって収拾がつかなくなったのだ。今では使われなくなった中薬や漢字がその典型的な例だろう。仏教の三千世界もその類だと思う。あらゆるものに意味を付け、果てしなく思考を展開し、収拾することもせずにそれを押し戴くのは現実的でも実際的でもないと思うのだが、考え方としては確かに面白い。