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カテゴリ:歴史
昭和天皇・マッカーサー会見 私:戦後、日本人はマッカーサーを「天皇」のごとく思っていたが、実は、「天皇・マッカーサー第1回会見」の頃、マッカーサーの地位も不安定であった。 A氏:マッカーサーが朝鮮戦争で、原爆攻撃を言い出して、解任されるが、それ以前から両者の確執があったわけだね。 私:国際的には、占領後の各国の政治体制は、連合国の協議によることになっていたが、占領地に共産主義体制を拡大しようとするソ連と米英との間には対立が始まる。 私:それはマッカーサーの「権限」と天皇の「権威」の一体化政策だね。 A氏:その意味からすると第9条より天皇制の維持が重要だったわけか。 私:新憲法は、1947年5月3日に施行された。 A氏:9条問題とは非武装のことだね。 私:天皇は安全保障上、軍隊がないと、国連に頼らないといけないが、その国連があてにできない。 A氏:しかし、この会見では新憲法が施行されたのに「象徴天皇」は、政府や外務省の「頭越し」に明らかにマッカーサーと政治的活動をしているね。 私:天皇の発言は、この第4回会見後、沖縄における米軍の占領が「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」もとで継続を望むという、有名な「沖縄メッセージ」として、マッカーサーの政治顧問シーボルトによって覚書にまとめられている。 A氏:しかし、マッカーサーは国連主義だったのかね。 私:「日本は極東のスイスたれ」という主張だったようだ。 A氏:あいまいなマッカーサーと吉田をバイパスしてしまったんだね。 私:明日は、そのチャンネルを使った安保条約をめぐる天皇の活動に移ろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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沖縄の統治権に関して、昭和天皇が積極的な関与を行っていたと言うのは事実のようですね。それを象徴天皇としての権限を逸脱していたと唱える方々がいますが、あの時点では天皇の名の下の統治は混乱した内政状態を考えるとやむをえなかった気がします。
(2008.10.29 12:08:35)
愛しの増田恵子様さん
>沖縄の統治権に関して、昭和天皇が積極的な関与を行っていたと言うのは事実のようですね。それを象徴天皇としての権限を逸脱していたと唱える方々がいますが、あの時点では天皇の名の下の統治は混乱した内政状態を考えるとやむをえなかった気がします。 ----- 天皇は、敗戦という日本歴史始まって以来ぶつかった天皇制の崩壊の危機を防止するため必死だったのでしょうね。 (2008.10.29 21:58:13) |