建国を祝おう
明日はいよいよ建国記念の日です。今日雨の中、国旗を掲げていると、高校3年生女子が声をかけてきてくれた。話しながら掲揚作業についてきてくれたのです。濡れながら掲揚しているさまをかわいそうに思ったのでしょう。傘を差しながら。無論初めてお会いする方。こんなおじさんの話等面白くないだろうなと思いつつ、明日の祝日の事や陛下の事、部活の事などを気さくに話しながら掲揚していた。話している中で4月からアメリカにわたりダンサーを目指すと言われる。家の方も同意されていると言われる。親孝行の話をした。「生んでくださった親に何を置いても感謝しなさい。アメリカで生きるなんて並大抵ではない。どんなときにも笑顔と感謝を決して忘れてはいけないよ。」親でも担任でもない人におせっかいな話をされてどう思われたかは知れないですが、感謝の言葉をもらって別れた。日本の良さにつき少しは感じてくれたかもしれない。こんな風ですので掲揚にはやはり4時間がかかった。 さて明日は建国記念の日。愛知県下で私どものかかわる建国祭は今年14会場。他に日本会議さんと日の丸会さんがなされるので県下で16会場。そのうち市長さんが参加くださる会場は半数の7会場が決まっています。是非価値ある式典講演会にしたいものです。 岡崎の建国の式典の来賓は市長さんと国会議員県議市議だけで31名。講師の河添恵子先生をふくめて32名の皆さん全員に壇上に上がっていただき開催。式典講演会の開催は10時ですが、この式典前には小学生が20名ほどで太鼓の奉納を行ってくれるアトラクションがありますので9時半より開始です。 建国記念の日岡崎奉祝会の今日があるのは国思う皆様のおかげであります。 岡崎での活動の記録を記載しておきます。 ① 前史 新日本協議会の立ち上げ 渡辺愛吉先生(校長、市県の教育課長を歴任)昭和22年提唱 その趣旨は、戦後教育の流れを正すため 教育関係者の奮起を促す意味で この会をスタートさせ会員は主として校長であった。 人間教育の中心に、郷土愛・愛国の精神を子供のうちから育てようと研修会がもたれた。具体目標に、日本の紀元節を先ず復活、国旗を大切にしよう(毎日掲載)を掲げた。さらに学校経営全般、教育内容、学校行事、職員教育や職員研修など教育全般に渡る協議が行われた。昭和23年より木曜日夜に会をもつことから木曜会と名付けられ昭和45年まで続けられた。○ 岡崎独自の紀元節昭和36年2月11日 岡崎で第1回紀元節 前記木曜会の趣旨に賛同して市総代会が全市に呼びかけ有志で挙行する。昭和38年 紀元節復活の陳情集め 市内一円 約1万名分、国に陳情書提出昭和41年2月11日 岡崎で第6回紀元節 有志昭和42年2月11日 岡崎で第7回紀元節 有志 ②建国記念日岡崎奉祝会立ち上げ(木曜会奉祝実行委員会主催) ○国民の祝日「建国記念の日」として追加制定 昭和42年 昭和42年2月11日 建国記念の日 第1回 岡崎奉祝祭を執行 奉祝定規実行のための組織内容事業の検討昭和46年2月 建国記念の日奉祝参加団体をまとめて実行団体木曜会と命名会長は市総代会長、参加団体の代表が実行委員となる。経費は参加団体の寄付金などで賄う。国、自治体主催で奉祝行事が実施されるまで我々が主催続行する。自治体主催で行事が行われるまでががんばることを決議する。 以上の流れで岡崎の建国奉祝祭が実施されてきました。」 建国記念の日としての奉祝行事は今年で53回目となります。私は昭和46年、高校生で初めて参加しました。 ② 紀元節回復運動をふりかえって 昭和36年の2月12日東海新聞(現在の東海愛知新聞)に岡崎初の「建国記念式典」が伊賀八幡宮において開催されたと大きく写真入で紹介されています。子ども会約百名にタコを渡したとある。豊橋のパレード記事も。まだ建国記念日が復活する前の話です。それからずっと建国記念日制定を熱き思いで訴え続けてみえたのです。当時、県下九会場にて同様の奉祝祭が開催されていました。 昭和三十七年には奈良、橿原神宮から東京奉祝会場まで、御神火行進をなされたとある。伊勢神宮、熱田神宮の御神火を拝受し、静岡に渡す。三重県から受け継いだ御神火をむかえ、熱田神宮に入り奉戴奉告祭、市内パレード。後岡崎、豊橋、浜松へとお運びする。 独立後十年余。国家復興の願いがこのような形で燃え広がる。負けたといえども復興の祈りが全国の名もない皆様に手で形となり、ついに昭和42年に建国記念の日として紀元節が復活したのでした。 なお、三十七年実施の愛知県内奉祝行事は名古屋市、岡崎市、犬山市、刈谷市、小牧市、豊橋市、一宮市、守山市、木曽川町の九会場。隣県では静岡が十会場、長野県五会場。岐阜県四会場。三重県一会場。奈良は十二会場と記録があります。 敗戦国日本が必死に復興の道を歩んでいくのは昭和天皇のご姿勢と、それに応え申し上げようとの官民一体の必死の取り組みの結果でありました。神々が生きていた。悠久の歴史が日本復活の指針となっていたのです。 建国記念日の復活は敗戦に打ちひしがれた国民市民が日本精神を復活する,自信を獲得する象徴的な出来事であったのです。 滴々相承、一滴もらさずに先人の国思う心を受け継ごうとする国民の思いの結晶こそが紀元節の継承であったのです。神代からの清き明き心を継承しようとする思いが君民一体となってこの日を復活させたのであります。しかし世代が変わるにつけ熱意ある人々が泉下の人となられ次第に開催地は減少。10年前には岡崎と豊橋のみとなっていたのでした。しかし、2度にわたる大震災を受け、利己主義的個人主義では我らの未来はないと気づいた人々の中から教育の再生、日本の伝統への回帰が叫ばれ始めました。 我らの国はこのままでよいのか。有志の皆さんが立ち上がり、今一度僕らの国の良さを見出そうとの動きが出てきたのです。 名古屋での開催を皮切りに豊田豊川などにて開催がなされはじめました。 今年は岡崎・豊橋・名古屋・豊川・蒲郡・碧南・西尾・知立・愛西・刈谷・日進・安城・大府・豊田・尾張旭の十四市にて開催されるところまできたのです。今日も様々な方と運営の詳細につき電話でやり取りをしました。なんとか明日、全地区で成功させたいものです。 平成最後の年の来年には県下すべての市において開催し、国の誕生の日を全県民全国民で祝いたいものです。岡崎ではすでに私の責務国旗掲揚500本は完成。残りは神社や公民館、近隣の掲揚場所のみです。 朝8時,高校同学年の友に通信をもっていく、昨日退院してまだ体調は不十分であるようだが、元気な様子に安心。足が痛いと思っていたら急に倒れて医者に行ったところ脳の血管が破れて血がたまり手術となったという。高校時代三島由紀夫先生の追悼として高校でボディビルクラブを立ち上げてトレーニングしてきた仲間。とりあえずよかった。9時から三ヶ根にて清掃奉仕。月一度ですが、みなと再開できるのは実にうれしいことであります。たまたま九州福岡の方が三ヶ根参拝にお見えで初めてお会いした方ながら悠紀・主基の事をご存じで8市町村の連携話ができた。今後の展開次第ですが、これは進めたい喫緊のテーマ。