岡崎の建国奉祝会実行委員会開催
午前10時より岡崎の建国記念の日奉祝会実行委員会がセキレイホールにて開催された。事務局として参加。毎年開催は3月でしたが、2月時の建国奉祝祭より時間が空いたためか、やや欠席者もみえた。しかし、皆さんの冷静客観的なご意見も多く出され、かつ熱意溢れる会合となり有意義なものとなった。市内各地での町内会総代もほぼ半数が改選となり4月から新年度が開始されたので、新総代さんへのご理解をいただく作業もこれからの行事。さてまずは全体総括、さらに会計報告。私は参加者の皆さんのアンケートのコメントをすべて印刷してまとめの発表をした。29 非常に素晴らしいご講演をこの年になるまで知らずにいた。話を聴けて感動した、一度本を読んでみたくなった。政治色もなく中立の説明で特によかった(2から5回参加・男性)30 藤川小学校の和太鼓、大変良く、活力をいただきました。31 日本とトルコ, ポーランドの話を聴き、そのような日本人にならないといけないなと感じました。また、今後各地で公演をしてください。(2から5回・男性)32 河添恵子先生の講師の話がとてもよかったです。祝日は国旗を掲げるPR活動をしてください(2から5回・男性)33 河添さんの話を日本人がもっと幅広く知るべきだと感じました。講演会ありがとうございました。舞台中央の国旗のしわが気になりました。会場名に「大府」「西尾」「尾張旭」を手書きで追加された皆さんの努力を感じます。(2から5回・男性)34 河添恵子さんの講演は特によかった。あのような話を学校教育に生かせないものか。(初参加・男性)35 ポーランドと日本という今までに知らなかった関りがわかってよかったです。(初、女性)36 河添氏の講演会は大変良かった。日本人のアイデンティティ・愛国心、特にポーランド人との関係は感動した。松山のロシア人墓地の話は知っていたが、松山と言って降伏した理由がよく分かった。より多くの人に伝えたい。(男性)等の肯定的なご意見や37 私は日本建国を祝うためにこの奉祝祭に参加いたしました。式典の終わり「万歳三唱」についてお願いがあります。遺族会代表の方が「万歳三唱」を唱える前に「日本国建国万歳」と唱えられないことを参列者にわびてから「岡崎奉祝祭万歳」と三唱していただきたく存じます。(5年前に岡崎へ転居)38 ひな壇にいる来賓の中に襟を正さず(休めのまま)国歌斉唱をしている方がみえたことは残念なことと思いました(2から5回・男性)39 毎年感じています、多数の政治家が臨席しておられますが一番聞いていただきたい講演を聞いて勉強していただきたい、そうでなければ臨席の必要はない。等のご注意などまた40 国旗の掲揚について。ずっと感じていることであるが、祝祭日の国旗がほとんど見られない。総代会などを通して何とかできないかと思う。(毎年。男性)41 中国問題のいろいろは、マスコミが悪いなあとつくづく思う。出席者が全員駐車できる会場にしてほしい。特定の人が駐車しているのはおかしい。(男性)42 式典はみじかいほうがいい。講演も時間短縮。全部で1時間半ぐらいで。藤川小和太鼓部に感謝。良く練習している。もう少し若さと元気を。アトラクション後の休憩が長すぎる。時間短縮。10分で十分。毎回参加しているが年々出席者が減っているように感じる。出席依頼要請の方法を考えられた方がよいのでは。(毎年・男性)等の提言や希望などをいただいたので、その審議なども丁寧に行った。尚、実行委員の皆さんに私個人から講師の河添先生の御著書を一冊ずつ贈呈させていただいた。会終了の後、時間をいただいて6月3日の中島町での悠紀斎田御田植祭りとご参加くださるチャンネル桜テレビスタッフ、村田春樹先生、さらに皇室の弥栄につきご活動になられる所功先生がお越しくださることになったことをご報告。親しくお話を頂ける会が開催できることになればぜひご参加いただきたいとお願いする。更に八丁味噌問題と署名活動につきご報告。閣議決定まで出てしまった中で大変難しい問題ですが、6月いっぱいまで署名活動を伸ばして農林水産省での審議会に間に合わせる方針を提示させていただく。産経新聞に小西代議士と議論になった自衛官の供述全文が掲載された。自衛官の供述が正しければ、小西議員は警察権力を背景に個人の言論を封じる行為をなした事に成るようだが、果たしてどうなのか。そこまで言って委員会などでは当たり前の言論の自由が、この街頭での偶発的な議論では処分までさせるとの恫喝的な上下関係の中で言論は封じられ、防衛大臣の陳謝まで行き着くのか。一人の国民の意見が野党代議士に聞かれると、こうして大問題にされるのか。権力者に対して意見を述べるにあたっては気を付けねばならない。私にとっては人の「死」についての感覚はこの自衛官の方の感覚の方がずっと近い気がする。例えば軍歌。この歌を軽んじて歌うものには常に君はうたう資格があるや否やを問う。祖国に夢を託して命をささげていかれた思いを受け継ぐ決意があるのか否かと。自衛官氏は「戦死」を身近に感じている私にとっては、小西議員の「戦死」という言葉の使い方が非常に軽く感じ、私のこれまでの災害派遣任務で経験したヘリから基地に空輸されてきたご遺体を目の当たりにしたときの強い衝撃や使命感、そしてすべての自衛官が持っている「事に臨んでは危険を顧みず」という覚悟を軽んぜられたと感じたので、「俺は自衛官だ。あなたがやっていることは、日本の国益を損なうことじゃないか。戦争になったときに現場にまず行くのは、われわれだ。その自衛官が、あなたがやっていることは、国民の命を守るとか、そういったこととは逆行しているように見えるんだ。と、こう語ってみえる。あんたに守ってもらおうと自衛官の任務を生きているのではない。こう直感的に思われたのでしょう。正にまっとうな感性ではありますまいか。単なる偶発的な議論で警察沙汰になり、クーデターを引き合いにして処分を要求するなど、昔のマルキストでも取らない手法。お母ちゃんに言いつけてやるから とは、子供が喧嘩する際に使う言葉でしょうが、代議士という権力者がシビリアンコントロールだと、息巻かれるのはなぜか同じニュアンスすら感じてしまう。売り言葉に買い言葉のレベルを記事にするほど政権批判をするには何でもありのように見えるマスコミの姿勢もどうかと思う。地元のゴミ処理の役は3月で降りたにかかわらず、今日はなぜか係が一人も出ていず、私が出ていたられない時には応援するよとは言ってあるが。どうなっているのか。任せた以上口は出せないが誰も立会人がいないのでは無責任のそしりを受ける。8時まで奉仕。それから建国会議に急いだので準備不足であった。