カテゴリ:活字と映像の覚え書き
古本やさんへ立ち寄って本を探すついでに、先日一気した『ドラゴン桜』の読んでなかった巻をぱらぱらと。
「全部自分で考えるのは、何も考えてないのと一緒」 この台詞だけ抜き出すと誤解を招きそうだけど、「自分で一から考えたものでないと価値がない」みたいな刷りこみを受けて育った人間には、福音のごとき一言だったりする。 だいたい子ども見てりゃわかるけど、ホントにまっさらから自力で考えだした事柄なんて、かなり取るに足らない。一部の天才はもしかしたら、あっと驚く真のオリジナルとやらを生み出すのかもしれないけど、凡人が秀才になるために必要とされるのは、まず模倣の技術だ。 釣り遊びセットや、画面を変えられるTVを、すべて紙でつくってくミニラの、嬉しそうなこと。これを「既成のおもちゃのマネすんな」「TVのコピーなんてつまらない」と切り捨てていたら、ミニラは何もつくらない。そして、楽しそうにもしない。 小鬼は模倣が苦手だから、このままではまずいのでは……と手を貸したところは伸びた。わかりやすいのは音読。聞いてやり、「ここはもっと淡々と読んでみな」「笑えるところだから、冗談ぽく」と指示するうちに、学芸会の主役で観客を笑わせるまでになった。 人類ウン万年の歴史をナメてはいけない。大概のことは、誰かが思いついてもうやってる。より良い方法に洗練されてさえいる。 模倣だ、模倣。 模倣を侮るな。 それでは個性はどうなるのか、という向きもあろうけど、編集者時代に感じたのは、「個性って、ほっといてもみんな持ってるんだなあ」だったりする。 個性は磨くものではなくて、個性をうまく表現するための技術をこそ磨くべきだ。これもどっかで書いたな。 技術は、先達の技のトレースから始まる。スポーツならフォームを真似るのと同じこと。 問題を解決する方法を、既に誰かが思いついているのなら、方法を尋ね真似ることを躊躇ってはならない。オリジナルにこだわって遠回りすることで、誰も到達しえなかったハイエンドな結論に達するケースも稀にあろうが、それはほんの一握りの天才にのみ与えられる栄光だ。 おまえは天才か? そうでなければまず、いつも馬鹿にしている使い古しの方法を、一から十まで真似るといい。 話はそれからだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 18, 2009 11:08:03 PM
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