カテゴリ:労働問題
クロニクル 国鉄分割・民営化のプラン出る
1984(昭和59)8月10日 もう27年も経っているのですね。この日、国鉄再建管理委員会は、中曽根首相宛ての第2次緊急提言を発表、その中で、初めて国鉄の分割・民営化の方向性を明示しました。分割・民営化を目指す路線はここに登場、強力な労働組合対策も兼ね、急速に実現の方向性を強めてゆきます。 分割民営化の実現は、2年8ヶ月後の1987年4月のことでした。国鉄の抱える赤字は、国鉄清算事業団が抱え、金融機関に利子の減免を求めることもなく、国有地となった旧国鉄の所有地を次々に売却したり、民営化会社の株式上場によって得た利益などを次々に注ぎ込んで、返済を続けましたが、高率の利息のために元金はほとんど減らず、最後は20兆円を上回る国庫資金(税金)の投入によって、清算されました。この赤字のほとんどは、代議士達の地元サービスと地元の土建業者へのサービスとして建設された採算無視の赤字路線が積み上げたものでした。 また分割民営化は、動労、国労といった労働組合の活力を削ぐためにも利用され、民営化に反対する労組の組合員は、民営化会社への再就職に関して、不利な扱いを受けることになりました。動労の幹部は、この状況をうまく読んだのか、途中で民営化反対の旗を降ろし、組合員が不利な扱いを受けることを防ぎましたが、国労は最後まで民営化反対を貫き、組合員の多くは、債務を処理した後に解散となる、いわば一時的な身の置き所にしかならない、国鉄清算事業団にしか入れませんでした。 不等な差別として、国労と組合員は裁判闘争に訴えますが、明るい展望の開ける戦いではなく、組合員は大きな犠牲を払わされることになりました。幹部の判断ミス、ミスと気付いても路線の変更に踏み出せない勇気の欠如が、多くの仲間にとんでもない犠牲を強いた例が、ここにもありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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