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カテゴリ:香川旅行記
◇源平屋島合戦の最後に決戦です。
でも、あまりなにも残っていないですね。 屋島山頂から少し行った所に、獅子の霊巖(ししのれいがん)があります。 《戦に勝った源氏が陣笠を投げて勝鬨をあげたとされている場所です》 この場所には訪れていません。 話によっては、義経が敵方の首を並べた場所もあるとか・・・。 話ですので悪い話は少なめになっていますが、義経は容赦ない人だったことがわかります。 義経が讃岐に乗り込んで、たった三日で屋島が落ちました。 それほど圧勝だったのでしょうね。 義経の奇襲に恐れをなす武将が増えていき、軍神とされていきました。 義経が死んだ後も、いろいろと伝説が残されています。 モンゴルに渡ってチンギス・ハーンになった話です。 年代的にわずかずれているので話程度ですね。 話としては面白いですが、モンゴルの人にとっては不愉快な話でしかありませんね。 ほとんど史実がないので源平合戦も、あいまいな事しかわかっていないらしいです。 讃岐の合戦跡地も、いい加減なものではないでしょうか? でも、日本人に愛され、話として好かれた義経のを考えながら跡地を訪れるのもいいと思いました。 少し源平屋島合戦の勉強になりました《笑》。 これで、とりあえず源平屋島合戦は終わりです。 二月二十一日早朝、は平家は船で八栗半島の北を廻り志度に上陸して伊予からの援軍と呼吸を合わせて背後から攻める奇襲をすることにしました。 平家は統率が取れない状態で、烏合の衆となり命令が行き届かない状態でした。 源氏優勢という噂が流れて、讃岐の豪族や瀬戸内海水軍は旗をひるがえし源氏に馳せ参じました。 この奇襲は義経はいち早く察知し、八十余騎を引き連れ志度に急行しました。 平家が上陸後、志度寺付近で休息している所に、奇襲をかけ壊滅的な打撃を与えました。 平家は戦おうとわせずに、逃げるだけでした。 一部は陸地に取り残され山間部に逃げ込んでいきました。 伊予から平家の援軍が一千余騎が到着しましたが、讃岐は源氏に支配されていました。 源氏からの使者に説き伏せられ解軍しました。 平家は援軍という最後の望みの綱も絶たれました。 平家は海上でいると背後から源氏の大船団がくるのではと噂が流れ始めました。 噂が噂を呼び、平家は翻弄され、二月二十一日夕方には、屋島をあとに西海へ落ちていくことになったのです。 源平屋島合戦は源氏の圧勝で終わりました。 (いろいろな資料を基にしました) ●源平屋島合戦の訪れた道 ルートなど 源平屋島合戦(一) 義経上陸の地など 源平屋島合戦(二)義経腰掛松など 源平屋島合戦(三) 総門跡など 源平屋島合戦(四) 安徳天皇社など 源平屋島合戦(五) 射落畠など 源平屋島合戦(六) 佐藤継信など 源平屋島合戦(七) 那須与一など 源平屋島合戦(八) 景清しころ引き伝説など 源平屋島合戦(九) 義経弓流しなど 源平屋島合戦(十) 瓜生が丘、弁慶など 源平屋島合戦(終)は、このページです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/07/07 10:28:08 AM
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