夏目漱石『坊っちゃん』1
今日から夏目漱石『坊っちゃん』(新潮文庫)を読み始めた。 早速、一段落目から面白いので、以下に引用してみる。「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。」(p.5) この場面では、<表現の焦点を捉え違えた結果生じた滑稽感>を描いている。 小学生の時、学校の二階から外をのぞいていた「坊っちゃん」に対して、同級生が、弱虫だからそこから飛び降りられないだろう、と言ったから、何を!とばかりに後先考えずそこから飛び降りて、腰を痛めてしまったのである。 このことを知った「おやじ」が発したセリフがこの場面の中心である。曰く、「二階位から飛び降りて腰を抜かす奴があるか。」 「おやじ」は、二階から飛び降りるという行為は、当然に腰を痛める結果となるのであって、そんな危険な行為をするな、という意味でこのセリフを発している。このセリフの焦点は、「おやじ」としては「二階位から飛び降り」るなんて危険なまねをする「奴があるか」という点にある。つまり、二階から飛び降りるという行為を非難しているのである。 ところが、「坊っちゃん」は「おやじ」のセリフから、「おやじ」の認識を追体験できなかった。「坊っちゃん」は、二階から飛び降りるというなんでもない行為でもって、腰を痛めるという重大な結果を引き起こすのは、体が弱いからだ、という意味にこのセリフを解釈したのである。「坊っちゃん」としては、このセリフの焦点は、「二階位から飛び降り」るだけで「腰を抜かす奴」はダメだ、という点にある。つまり、腰を痛めたことを非難されたと感じたのである。「坊っちゃん」の頭の中には、「危険」という像が全くないのである。ここに「坊っちゃん」の無鉄砲さが現れている。 同じセリフを、一方は行為自体を中心に、他方は結果を中心にとらえているのである。だからこそ、二階から飛び降りるなんて危険なことをするなと言われて、怪我をしないよう飛びます、と何とも的外れな答をしているのである。端的には、飛ぶなと言われたのに飛びますと答えているところに面白みがあるわけである。