無茶苦茶な一年
今年を振り返ってみた。あちこち行ってたと思う。それでも新婚旅行に行きたいって言う嫁さんの気が知りたい!これだけの経験をこねなしの体当たりでやってきた自分達と、多くの人の助けは信じられない程だった。今はどっぷり日本。6月までユーロ圏にいたのが信じられない。ザウター社(1819年創業のメーカー)で。いきなり正社員として働かせていただいて、大感謝。いい経験をさせてもらい、なお且つ収入も頂いたし。ブリュートナー社(ライプツィッヒの名門メーカー)で。旧東ドイツの人々は、兎に角優しい。写真は2週間研修の最後の日パリの工房で。オーナーのシルビーと。技術は勿論、フランスのピアノの歴史、特徴、彼女の失敗談も話してくれた。仕事も与えてくれて、珍しい経験もさせてくれて、感謝!パリにも自転車を持っていった。あっちは電車に自転車を持ち込める。とは言え引越しの日は大変だった!ベルリンにももちろん持参。パリのオーナー実家で食事。ワインがあまりおいしくないと、家族から父親への駄目出しがある。パリでの一ヵ月半はとても濃かった。皆さんに感謝。とりわけ、パリの調律師、あきこさんへ大感謝!皆さんまた会いましょう!ベルリンベヒシュタインショールーム。これが二度目。大好きなメーカーなのに、通訳もしたのに「新生ベヒシュタイン」で技術者としての仕事も研修も会社とのすれ違いばかり。何故か縁がなかった。ベルリンフィル、ラトル。ドビュッシーの「ペレアスとメリサンド」の世界に引き込まれた。ベルリンフィルは、ラトル、アバド、小澤、他多数の指揮者の演奏を聴けた。指揮者で全く世界が違うし、それを伝えるこのオケの技術の凄さに圧倒!ドイツ、フランスへ行って一番財産になったのは、生の音楽を沢山聴けた事かもしれない。ウィーンフィルが聴けなかったのは残念。絶対に聴かなくてはならない。ユダヤ人慰霊地。公に第二次大戦を反省するドイツ。はじめは感銘を受けたけど、あまりに多くてうさんくさくなった。現実の心情は複雑なようだ。ベルリンの壁。住んでた家は旧東。でも隣の建物は壁の一部だった。何回も観光バスが走ってた。ワールドカップ。ブランデンブルグ門前の野外会場で。ドイツが得点を挙げフィーバー。日本のと含め数試合観戦した。にわかサポーター日本人多かったな~。ザウター勤務の頃、テレビでサッカーをよく見たけど各国のリーグの質が高かった。Jリーグと比較にならない。世界で活躍する日本人達が集まれば、強いチームになるって考えを持つ心は、日本人の短所の一つだと思う。どの世界でもいえる。Jリーグのレベルを上げないと絶対にいいところまで勝ち進むわけがない。日本にいて若い選手達はマスコミにちやほやされたのでは。つまり精神的に大人と子供の差がある。オーストラリア戦、イタリアへいく途中の空港で見ていた。後半の動きの悪さと浮き足立った感じ、集中力の無さ、無責任な感じ、画面から伝わってきて二人で情けなくなった。逆転されてオーストラリア人から「残念だったね。」って笑顔で言われてなんて悔しかった事!ベルリン野外音楽祭。これを聴くのは私の夢だった。音楽と夕暮れと鳥のさえずり。最高だった!日本のBSで見直した。ルターの机。ドイツにはカトリックとプロテスタントの二つある。帰国を考えるようになって、行きたくなった。この机で聖書を書いているルターを想像し感動。クリスマスマルクトで、売店のおばちゃんが、お客さんに「あなたはカトリック、それともプロテスタント?」と普通に会話をしていたのが印象に残っている。私はどちらでもないが聖書は読む。ヨーロッパの文化、芸術、そして生活を楽しむために読んだ方が絶対にいい!ルターの功績は計り知れない。バチカン。カトリックの総本山。豪華絢爛。神様は見た目もすばらしくなくっちゃって感じ。いずれにしても信じる者は救われるのだろう。信者の方々の目は輝いていた。フィレンツェのピアノ工房。ピアノを発明したクリストフォリのゆかりの地を訪ねたかったのに、天才が沢山生まれた地の為か、観光案内所に行っても駄目だった。「クリストフォりって名前のピアノ屋があるよ」って言われてよってみたら、この工房。躊躇していたらたまたま通りかかった日本人の方が背中を押してくれた。1時間くらい見学、説明をしてもらった。ここも女性。フランスも女性。ちなみに遺跡を修復してたのも女性が多かった。イスタンブール。帰国の途中に寄った国。ヨーロッパの発展がこの国の影響なくしてあり得なかった。芸術の違い、絵画の線の違い、色彩の違い、今は治安が悪いが、文化は高い!ヨーロッパを知れたければその周辺の国も多少知らないとならないと思う。ピアノを作っていて疑問だった事を、この二人が作ったあるセンサーで明らかにする事が出来る。左は戸ヶ崎さん、センサーの開発者。右は濱田さん、この業界では有名人。二人ともピアノが大好き。今後修復は勿論、調律の世界も幅が広がると確信している。この人たちと出会った事は、時が経つに連れて大きくなるだろう。工房製作。実家の物置を改造。欧州での経験が生きた。倉庫も改造した。土地や建物を貸してくれている実家の人々には頭が上がらない。それにしても工房も倉庫もはじめは汚かった!フランスからの贈り物。この後の事は、このブログに書いてある通り。