穴水から輪島へ~被災した輪島塗の漆蔵を復活へ
穴水から輪島へ地震で崩れた漆蔵この漆蔵は、地震以前は漆蔵としては すでに使用されていなかったそうです。ですが 貴重な蔵と言うことが再認識されて 修復してサロンの様に使いたいとNPOが結成されたとか。漆蔵は湿気などの点で「輪島塗り(漆器)」の最終段階の仕上げに欠かせない空間であるそうです。災害復興の過程で 地域の「宝」が再認識されることがありますが これもその好例かと。この場所に隣接する、お隣の漆器店の漆蔵は震災前にも使っており、損傷して再建中。淡路などから左官職人をよんで壁塗りの最中でした。(写真は その漆蔵ではありません。サロンにする方です)なお穴水から輪島へはバスで。かつてはディーゼルがありましたが バスで30分ほど、快適でした。伺った漆蔵のあるあたり海士町(あままち)には細い道を歩くと 地震の跡と思われる空き地がありました。そこから また輪島駅へ歩くと、周囲をぐるっとベニヤで補強したお店や、建築中の建物が・・・駅に近づくと 町並みを考えて作ったと思われる通りを歩きます。かつて輪島に来たときにはなかったような・・・漆器店とか お土産物屋さんとかでなく 確か理髪店か塗装会社とかも こういう造りになっいましたから、一種の町並み保存というか 町並み創造ですね。(道路は明らかに広くなっていて新しい)これは おまけ。かつて鉄道・能登線?が通っていたときの駅の看板が残っていました。いまはバスターミナルですが 今も名前は「輪島駅」です。時間がなくて震災後に開発された※「能登丼」が味わえませんでした。※たしか地震後に観光振興で出てきたアイデアとお聞きしましたが。前にもあったのかも。飛行場にもあるときいたので(能登しただめ丼)、能登空港で食べればと考えていたのですが・・・レストランでは売り切れのようで。白えびのかき揚げうどん(これは これで美味しかった)をいただきました。能登空港は能登半島の背骨ともいうべき丘陵地を拓いたところにあります。展望台から、遠く内浦から能登島を臨んで(画面 右奥)。再訪できることを望みつつ東京へ・・駆け足の能登行きでした。