百人一首に採られた清少納言の歌は、
夜をこめて鶏の虚音(そらね)ははかるともげに逢坂(あふさか)の関はゆるさじ
ですが、この歌は行成とのやりとりから作られました。
枕草子第百三十一段に経緯が語られます。
頭の弁(行成)が中宮様のもとに参上され、私と雑談されていましたが、明日は天皇様の元に詰めなければというので退出なさいました。
翌朝「一晩中でもお話ししたかったのに、残念です、鶏の声にせきたてられて」と、みごとな筆跡のお手紙をいただきました。
「あの猛将君の偽の鶏でしょうか」とお返事すると「私の言うのは逢坂の関のことです」とお返しになった。
そこで「夜も明けぬのに、偽の鶏の鳴き声に騙された函谷関の関守ならいざしらず、私と逢う逢坂の関は通ることを許しませんよ。しっかりした関守がいますから」と申し上げました。
またすぐに、「逢坂の関は人が通りやすい関ですから鶏が鳴かなくても待っていてくださるとか…」とお返事がありました。
機知に富んだやりとりです。もちろん、文面通りのラブレターととるのは間違いです。
行成の筆跡があまりにも見事なので、僧都の君(隆円、定子の同母兄弟)が平身低頭して二通をいただき、二通を定子が手元に置いたと書いてあります。公の贈答であったことがはっきりわかります。
清少納言の歌も、居合わせた殿上人皆の評判になりました。このような当意即妙なやりとりは、定子サロンの好むところでした。定子自身が、明るく父道隆譲りのウィット、ユーモアに富む性格であっただろうこともうかがわれます。