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カテゴリ:神秘体験空間
前回は、レッドツェッペリンの「天国への階段」の歌詞をオカルト風に再考してみた。この曲が発表された1971年のイギリスの年表をみると、この年が、イギリスにとって、重要な転換期であることに気づかされる。
ネットで検索すれば、例えば、パクス・ブリタニカからパクス・アメリカーナへの覇権の交代の転換期にあたることがわかるし、この年の前後をみると、イギリスの植民地から独立する国、特に中東の国が多発していく。 イギリスにとって、歴史の転換期だったことがわかり、それはイギリスの物質主義の行き詰まりでもあったことがわかる。 そこでネット検索していて、イギリスの歴史を、簡単に要約したコメントに遭遇したので抜粋し、紹介すると、「ケルト人が住んでいたところに、ゲルマン人、アングロ人、サクソン人、デーン人、バイキング、ノルマン人と次々にやってきて、各民族の侵入が終わると、王と教会の勢力争いがはじまる歴史。」とある。 この内乱が議会成立で収拾すると、今度は、海外侵略の道に進んでいくわけである。 イギリスの歴史では、ケルト人は、侵略された側の視点をもち、恐らく、芸術にその視点を持ち込んだのだろう。「天国への階段」は、侵略され、死んでいった側のその魂の叫びに共鳴してできた作品だと思う。イギリスの覇権主義に対する負の遺産を語る歌なのだろう。 イギリスという国の成立期は、内乱に終始し、結局、外から王様(ハノーヴァー王)を迎え、君臨すれど統治せずで、事態収拾を図った国でもある。 恐らく、王室英語がドイツ訛りなのも、また欧州の上流階級はフランス語なのに、大衆が使っていた英語なのは、イギリスが内乱の国であることをどことなく暗示しているように思われる。イギリスが紳士の国というのは、近年宣伝(洗脳)が発展したおかげで、まさしくブラックジョークに思えてくる。厳密にいえば、紳士の代表の貴族の王室はイギリス人ではないのだから。 音楽は、時代を反映するといわれるが、オカルト的視点からみると、音楽が、時代を先行している場合がよくある。音楽は、一種の預言(教訓)に思える。失意のうちに亡くなった者たちの魂に共鳴して、音楽が生まれることが多々あるからである。この世を去った魂が、カルマとして、この世の明日(未来)を形成する役目を負うからでもある だからキリストは、この世の人々に、「悔い改めよ、神(未来)の国(世界)は近い」と説いている。 シュタイナーだったか記憶が定かではないが、日露戦争で、日本が勝ったのは、ロシアで虐げられて亡くなった魂が、日本に味方した、というようなことを述べている。日本の戦国時代でも、秀吉は晩年信長の霊に苦しめられた噂があり、また小早川秀秋も、三成の霊に苦しめられたという噂もある。 恐らく、死期が近づくと、あの世にいく準備が必要となるので、自然と、良心が芽生えてくるので、体力があったときには、通常の覚醒意識には現われてこなかった潜在意識に眠っていた自分の悪しき行いが後悔として現われてくるのだろう。 これは、肉体に魂が転生することで、利己という意識が生じることからも明らかである。 利己主義から行った悪しき行為が、それよりも高次の集合意識からはミエミエなので、集合意識と共鳴するにつれ、利己主義を未熟で恥ずかしく思うようになり、それが幻影として、利己主義を除こうとしてくるのだろう。 だから、利己主義(執着心)があればあるほど、苦悩することになる。肉(肉体)を克服することなく天国にはいけないのだ! 「郷に入れば郷に従え」という諺のように、3次元にいるときは、当然、3次元の法則に順応して生きなければならないが、3次元を出て多次元の世界に行く場合は、3次元の感覚を捨て去らないといけない。 このことは、ドリールの秘教真義を読めばよくわかる。3次元の物質世界で生きるには、考えや思いを実行しないと現実化しない。行動あるのみである。しかし、4次元の世界では、行動なしに、考えや思いがそのまま現実化してしまうので、悪しき考えや思いは、悪しき現実を生み出してしまう。 だから、3次元世界のルールを持ち込むと、自らを自らで束縛し、魂は途端に不自由になる。俗にいうネガティヴの思考を持ち込むと、ネガティヴの現実を生み出して苦しむことになる。 それは、とどのつまり、無限の世界に、有限を持ち込むからで、自分を永遠と拘束しはじめ、終いには消滅してしまう。だから、猶予期間が必要で、3次元に転生して、やり直す必要が生じるのである。3次元の物質世界は、まさにその役目にはうってつけの世界である。 このような内容は、仏教では、色即是空で有名な般若心教で説かれているが、次回は、オカルト的視点から再考してみたい。色即是空を端的にいえば、有限は、無限から生じるということである。無限の自由を拘束し、有限を生み出しているのが、自己の意識なのである。 だから、有限の自己の意識からは、神の無限には到達できない、ということを、般若心教は逆説的に述べている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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