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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年01月18日
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カテゴリ:神秘体験空間
 さて、般若心経だが、私の浅薄なオカルトの知識からすると、恐らく、リグヴェータを起源にしているのではないか、と思われる。その内容が、シュタイナーの説く古代インド文化を彷彿とさせるからである。

 古代インド文化(インダス文明)は、古代アトランティス時代の神官たちが、いまのゴビ砂漠辺りに都市を再建したことに端を発しているようである。

 だから、古代アトランティス時代の叡智の伝承なのだろう。叡智とは、多次元世界への秘儀参入により得られた知識である。伝承するうちに、物語化したものなのだろう。

 オカルト的に再考するにあたり、以下のサイトの現代訳を参考にしたので紹介し、カッコ()でオカルト的な意味を要約する。

 ☆  ☆  ☆

 般若心経(現代語訳)
 http://ja.wikisource.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C%EF%BC%88%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3%EF%BC%89

 般若心経

 観音菩薩が、深遠なる「智慧の波羅蜜」を行じていた時、

 〔命ある者の構成要素たる〕五蘊は空であると見抜いて、

 すべての苦悩から解放された。

 (「観音」とは、宇宙意識を体現した覚者で、「菩薩」とは、ボーディサットヴァと呼ばれ、肉体の束縛を克服した霊魂で、生き仏ともいわれ、前世ですでに観音に到達していた霊魂で、二度生まれ、ともいわれ、もはやカルマを克服しているので輪廻転生により生まれる必要はないが、人類の教育者として生まれてくることもある。

 だから、「万物を見通せる叡智を身につけた覚者が、宇宙意識と交信していたときに、生命を構成する想念は、宇宙にある無限のリズムを、有限化することから生まれ、有限は、無限の宇宙の一部なので、有限化の仕方が想念によることがわかり、無限の宇宙の法則を学び、正しい想念の形成法を学ぶことが重要であることに気がついた。」となるだろう。)

 「シャーリプトラよ、

 色は空性に異ならない。空性は色に異ならない。

 色は空性である。空性は色である。

 受、想、行、識もまた同様である。

 (色彩が、白色光の一部なのと同様に、物質は、無限の宇宙リズムの一部で、無限を想念により有限化することから生まれる。3次元の世界は、無限の多次元世界の一部で、3次元の世界に則り、感覚をあわせることから、物質への感覚が生じている。

 「色、または物質は無限の宇宙意識から生まれる。宇宙意識の無限性は、3次元世界では、陰陽に分かれた有限の形で現われる。受の肉体、想の幽体、行の自我、識の霊体もまた、無限の宇宙意識の有限化の形から現われる。」)

 シャーリプトラよ、

 すべての現象(一切法)は空を特徴とするものであるから、

 生じることなく、滅することなく

 汚れることなく、汚れがなくなることなく

 増えることなく、減ることもない。

 (「全ての現象や、法則は、宇宙意識の無限性から生まれる。無限である限り、生滅もなく、汚れの有無もなく、増減もない。」 全ては、宇宙意識の無限性から生まれるので、有限性にとどまろうとする限り、進展は見込めない。)
 
 ゆえに空性においては、

 色は無く、受、想、行、識も無い

 眼、耳、鼻、舌、身、意も無く、

 色、声、香、味、触、法も無い

 眼で見た世界(眼界)も無く、意識で想われた世界(意識界)も無い

 (「宇宙意識の無限性のなかでは、色も、受、想、行、識も無限である。眼、耳、鼻、舌、身、意も無限で、多種多様で、色、声、香、味、触、法も無限で、多種多様である。だから、3次元世界も無数の形に現われ、意識も無限で多種多様なので、有限性をもつ感覚や意識には無いようにみえる。」)

 無明も無く、無明の滅尽も無い

 "老いと死"も無く、"老いと死"の滅尽も無い

 「これが苦しみである」という真理(苦諦)も無い

 「これが苦しみの集起である」という真理(集諦)も無い

 「これが苦しみの滅である」という真理(滅諦)も無い

 「これが苦しみの滅へ向かう道である」という真理(道諦)も無い

 知ることも無く、得ることも無い

 (「全ては無限から生じるので、有限性をもつ無明では捉えられない。有限の尺度からは、無限を勘定できないので、老いも死もない。だから、「これが苦しみである」というように、無限性を制約し断定することはできない。全てが無限なので、有限の尺度からは、何も進展は見込めない。」)
 
 もともと得られるべきものは何も無いからである

 菩薩たちは、「智慧の波羅蜜」に依拠しているがゆえに

 心にこだわりが無い

 こだわりが無いゆえに、恐れも無く

 転倒した認識によって世界を見ることから遠く離れている。

 三世の仏たちも「智慧の波羅蜜」に依拠するがゆえに

 完全なる悟りを得るのだ。

 (「宇宙意識の無限性から、全ての有限性が得られるので、宇宙意識に通じれば、有限性『執着心』に囚われることはない。有限性に囚われないから、利己も生じる余地もなく、利己から生じる恐怖心もなく、カルマの因果律を克服できる。過去、未来、現在と時間を司る霊たちも、宇宙意識の無限性に拠っているので、各々の時間を自由に多種多様に無限に司ることができる。」)

 それゆえ、この「智慧の波羅蜜」こそは

 偉大なる呪文であり、

 偉大なる明智の呪文であり、

 超えるものなき呪文であり、

 並ぶものなき呪文である。

 すべての苦しみを除き、

 真実であり、偽りなきものである。

 では、「智慧の波羅蜜」をあらわす呪文を示そう、

 "ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー"

 〔往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、 〔聖なる仏母である〕菩提〔女尊〕よ、ささげ物を受け取り給え〕

 〔ここに智慧の心髄をおわる〕

 (「だから、この宇宙意識の無限性に通じることが肝要だが、通じるのに、これだという道もなく、ただただ犀の角のように、独り歩むしかない。

 宇宙意識に通じるには、それを受け入れる準備が必要で、適度な準備ができたときに、どこからともなく、自ずと道師が現われる。」

 宇宙意識の無限性は、それを構成する各部分の有限性の進展により、更に無限性が発展するので、永遠に進化し続ける。だから、求道者には、果てしない求道の精神が要請される。求道の道に終わりは無い、というようなことが、この最後の呪文の意味に思われる。

 行けよ、行けよ、求道者、正しき道に沿って、ただ犀の角の如く独りまっすぐに進め、というような感じか?

 この最後の呪文を重要視する人が多いのだが、正直いって、私には、この呪文の意味がはっきりとはわからない。無意味な言葉を繰り返し唱えることで、リラックス状態と精神集中の両立を図るヨガの瞑想法、一種の呼吸法があることは聞いたことがあるが、実践したことはないので、なんともいえない。

 多くのヨガや瞑想法は、人間の脊柱にある4次元の12のエネルギーセンターと、それに対応する肉体の12のエネルギーセンターを開く方法であるという。クンダリーニを開くともいわれる。これら24全てのチャンネル(チャクラ、蓮華)を開くと、物質世界に、肉体を残したまま、多次元世界に、霊体や想念だけを移動することができ、俗に宇宙意識とつながった状態になるといわれている。

 空海は、この般若心経の原文全ての暗誦を繰り返すことが重要だ、というようなことを述べているようである。私には、この空海の発言は、3次元物質世界では、実践力や実行力や努力が肝要であることを伝えたかったのだと解釈している。

 ドリールも述べているが、思っていても、行動しなければ、3次元物質世界では実現しないからである。似たような話で、山岡鉄舟が、禅の師匠に、毎日、富士山を見に行くことを言われ、実践したところ、悟りを開いたというものもある。)

 ☆  ☆  ☆

 般若心経にしろ、仏典は、オカルトから再考すると、基本的に、古代の秘儀参入法の伝承のようでもある。簡単にいえば、意識だけのドラえもんの「どこでもドア」や「四次元ポケット」といえる。意識だけが、様々な世界に旅行できる方法である。

 例えば、現代のインターネットの世界では、人間の言葉だけが様々な世界に、電子の形で、旅行しているようなもの、ともいえる。

 だから、意識を、宇宙意識とつなげれば、インターネットの世界と同様に、どこにでも旅行できるわけである。

 いずれにしろ、般若心経よりも、ドリールの秘教真義の方が、現段階では、私にはあっているように思える。





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Last updated  2013年01月18日 17時04分11秒
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