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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年11月21日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 日本は古くから源平藤橘からなるといわれているが、歴史家の八切止夫氏によれば、源氏は騎馬渡来民族の末裔、平氏は海洋渡来民族の末裔、藤原氏はトウゲンで唐を源にする大陸進駐民族の末裔、そして橘氏は、大陸の契丹のモンゴル系のツングースとの混血渡来民族の末裔である、という話である。

 それぞれ、源氏が白、平氏が赤、藤原氏が黒、橘氏が黄という象徴色をもつそうである。日本の国旗の日の丸は、赤が太陽を表わしていることは明白だが、平氏の赤を、源氏の白が取り囲んでいるものでもあることはあまりいわれてはいない。このような意味ももつため、源氏が源平合戦のときに、日の丸を用いたようである。

 日の丸が日本の国旗となったのは、源氏を起源とする徳川家が採用したのが大きいが、藤原氏と橘氏が大陸からの進駐軍として日本の支配階層のなかに隠れ、つまり定着し、主に被差別階級が庶民となり、庶民の大半が源平になったせいとも思われる。いまだに仏教が黒なのは、藤原氏の末裔であることを意味しているようだ。

 八切氏によれば、古代は大陸系の黒と原住民系の白だったが、原住民系のなかの海洋渡来系が赤で、白から赤がわかれ、赤白となったようである。

 さて、前回は、日本の歴史を、Y染色体アダム説から考えてみたが、改めて、前回のような観点から、日本という国の意味を考えてみたい。

 Y染色体アダム説によれば、日本人の起源となったハプログループは、日本の東側に多くみられるYAPで有名なD2とC1、C3のアイヌ縄文系と呼ばれる原住民系民族に、日本の西側に多く東南アジアに広く分布するO2aに近いO2bの朝鮮弥生系と呼ばれる海洋渡来系民族に、九州に多く中国大陸に広く分布するO3-M134の中国チベット系と呼ばれる大陸渡来系民族の主に3つを源流とする。

 しかし、ハプログループの数でいえば、D2、C1、C3、O2b、O3の5つからなる。

 日本の歴史からいえば、O2aは、東南アジアに広く分布するので海洋渡来の平氏の末裔と考えられ、O3は中国大陸に広く分布するので藤原氏の末裔であろう。

 すると、残るは、源氏と橘氏である。そこで、更に日本人に関係するハプログループをネットで詳しく調べる。

 ☆  ☆  ☆

 O2a カンボジア、マレーシア、ベトナムで高頻度

 O2b 中国朝鮮族41.3% 中国満州族17.9% 日本人8.4%

 O2b1 日本人の24.2% 韓国、ベトナムに低頻度あり

 O3 中国漢族53.2% 日本人15.1% 朝鮮31.7% ほか中国大陸周辺の種族はいずれも20%以上の人が持ち主である

 D祖型 オンゲ族100%(アンダマン諸島) 雲南省プミ族70.2%

 D1 チベット人31.6% 日本人0.2%

 D2 アイヌ人85.0% 日本人36.0% 琉球45.1%(中国近畿が少ない)

 D3 チベット人7.5%

 C1 主に亜種C1a 日本人のみに遺伝子が伝わっている。4.2% 特に四国、東北地方に高頻度

 C2 南太平洋に展開、特に西ニューギニアには高頻度、ペニスキャップで有名なラニ族のは100%、サモア、ポリネシア、インドネシア高頻度(オーストロネシア語系)

 C3 C3aは日本人特有 日本人2.4% 

 C3b 北米ネイティブアメリカン、アメリカ先住民族(エスキモ-アレウト語族、インディオ諸語)

 C3c アイヌ人15% モンゴル、ツングース族高頻度

 C4 オーストラリア アポリジニ人(オーストラリア先住民族諸言語)

 C5 南アジア、中央アジアで低頻度

 C6 ニューギニア高地人

 ☆  ☆  ☆

 というように、O2b1の朝鮮渡来系、O3の中国渡来系はわかりやすいが、D2と、C1やC3は日本に独特らしくやはりわかりにくくなっている。

 そこで、D2がアイヌや沖縄に多く、中国、近畿に少ないことや、C1が東北や四国に多いこと、C3がモンゴルやツングースに多いことから、C1が出雲系で、C3が契丹系、すなわち橘氏の末裔であることがなんとなく伺える。

 また、ウイキの「有名人のハプログループ」から、源氏の末裔とされている佐々木氏や徳川将軍のD2から、D2が源氏の末裔、つまり騎馬民族であることがわかる。

 すると、源平藤橘の他に、C1の出雲系が謎である。出雲系は、O2b1の朝鮮渡来系、O3の中国渡来系により、D2の源氏とともに、東北や四国に追いやられた被差別原住民族の末裔なのかもしれない。

 もし、例えば、古代イスラエル王国の北の十部族が日本列島に到達していたとしたら、C1の出雲系になるのではなかろうか?

 というのも、東北や四国に多いC1というのは、東北の不思議な民謡の「ナギァド・ヤラ」が古代イスラエルの国歌という説があり、また四国には契約の箱アークが隠されたとされる剣山の伝説があることから想定されるからである。

 しかし、いずれにしろ謎である。そこで、改めて、Y染色体アダム説から、日本人が、D2、C1、C3、O2b、O3の5つからなることを再考してみると、かつての満州国の建国の理念の五族協和が思い浮かんだ。

 それは、日本人、漢人、朝鮮人、満洲人、蒙古人の五族のことである。この五族に日本でみられるハプログループを無理に当てはめてみると、O3の中国渡来系が、漢人にあたり、O2b1の朝鮮渡来系が、朝鮮人にあたり、C3のモンゴル、ツングースが、蒙古人にあたり、残る2つのD2、C1のうち、どちらかが、日本人か、満州人にあたると考えることもできる。

 D2が騎馬民族系なので、満州人にあてはめると、C1の出雲系が、日本人にあてはまる。

 すると、満州国建国の理念は、日本国建国の理念でもあったことがわかる。

 このことから天皇制とは、多民族を1つに融和させる制度ではないのか?と思うわけである。

 さて、国家とは何のためにあるのだろうか? 

 プラトンが、国家は、人間の魂を磨き、神々に近づけるために必要なものであると説いたことは以前紹介した。では、魂を磨くとはどういうことか?

 プラトンは、端的にいって哲学者=賢者になることであるといったが、その意味は、この世にいながら、あの世を知ることで、そのことを洞窟のなかの人間に喩えて説いている。

 魂は、国家に仕え、国家のために何かを与えることで、その与える能力を開発する。与える能力というのは、目にはみえないが、あの世から、この世にもってくる現実化といえる。それができるのは、高次のあの世が、低次のこの世をつくっているからである。

 だから、プラトンは、あの世をみれる能力が重要であると説いた。あの世をみる能力は、昔は遺伝的に継承されたが、異族婚により、失われていった。その代わり、この世をはっきりと捉える覚醒意識を獲得した。

 しかし、異族婚が進むにつれ、この世だけしかみれなくなり、この世に執着する民族が増えてきた。そういう民族は、金銭に固執し、この世で楽をしようとし始める。

 フロイトの指摘する低次の欲求を叶えようとしはじめたのである。執着心故である。執着心は、益々増長し、今度は執着心自身が失われるのに恐怖感を抱きはじめた。この恐怖感が現実化して、覚醒意識に死をもたらしたのである。

 これが人間の死である。

 低次の欲求から幸福感をみたすため、それは覚醒意識が巨大化した執着心の何者でもないが、継続しようとすればするほど誇大化せざるを得ず、かえって神経衰弱をもたらすので、死がもたらされたのである。

 巨大化したエゴに、死をもたらすことが、低次のこの世から高次のあの世への回復、つまり復活であり、キリストの死と復活なのである。

 日本の歴史をみれば、それは内乱の連続であり、エゴの戦いであった。しかし、結局のところ、この世には、戦いしかなく、そこに幸福はないのである。民族の違いを強調すればするほど、国はまとまらなくなるわけで、それが日本人の情緒さ、自己主張しない忍耐力と、霊的な存在への憧れを生んだ。

 異民族結婚から、覚醒意識を獲得したが、その覚醒意識で、この世での幸福をみつけることは、結局、死へと至り、元も子もないのである。

 だから、この覚醒意識で、あの世での幸福を見つける他はない。それが、人間の死を超えることである。まずは、この覚醒意識で、人間の死を捉える事である。覚醒意識で、死を超えた幸福をみつけることである。民族融和によって、かって獲得していた霊能力を再び獲得することである。

 それには五族協和の理念は非常に重要に思えるが、五という数は悪魔の数なので、できれば七族協和に拡大すべきであろう。遺伝的には、かつて分かれて歩んできた道を、分かれた人たちと共に手を携えて遡って辿って戻ることである。

 神話伝説でいわれるバラバラになったオシリスを再び集めることである。この神話は、分かれた覚醒意識が、再び潜在意識と一緒になることを意味する。

 五族協和の5から7にするには、あと2つのハプログループを加える必要があるが、R1か、Hか、Lがいいかもしれない。 

 いずれにしろ、覚醒意識を保ちながら、潜在意識領域に進出することである。これは平たくいえば、自分とは全く異なるものを受け入れることである。

 日本国憲法の天皇は、国民統合の象徴というのは非常によく表現できているように思える。オカルト風にいうなら、天皇は、国民、つまり五族融和の覚醒意識の象徴であるといえるからである。天皇が、霊能力を獲得したとき、国民もまた獲得するからである。カゴメの唄である。

 以上のように、天皇制の意味は唯物論ではわからないものであることは確かであろう。唯物論での幸福論は無意味なのである。





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Last updated  2013年11月22日 11時58分07秒
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