恩赦は憲法にも記載があるのだが、だから恩赦をするべきだということにはならない。憲法には、どんな時にどんな範囲で恩赦を行うかは何も書いていないのだから。もともと恩赦とは国王のような権力者の慈悲で罪人を許すというものであるが、民主国家の恩赦は権力者の恣意ではなく、より客観的で民意を受けたものでなければならないだろう。戦後の恩赦をみてみると、平和条約発効時に主に軍刑法違反者についての恩赦が大々的に行われている。戦前と戦後で軍をめぐる価値観が変わり、逃亡は戦前のように悪行とはみなされなくなったので、こうした恩赦は当然だろう。憲法に規定する恩赦とはもともとはこうしたものだったのかもしれない。
それに比べると、現在検討されている恩赦には疑問が残る。軍の解散のような価値観の変動があったわけではないし、尊属殺人違憲判決のように過去に確定した刑を軽減することが妥当とみられるような判例があったわけでもない。それでも、厳正に行われたはずの刑事処分や懲戒処分を軽減する意味がどこにあるのだろうか。まさか戦前の紀元2600年の恩赦のように殺人犯の刑を軽減することはないのかもしれないが、懲戒処分や交通違反、それに選挙違反についても、なぜ恩赦を今やるのかという疑問が残る。
それでもやるというのなら、基準とか該当者数とかを透明にすべきだろう。個人情報保護などを名目に秘密裏に選挙違反者や懲戒処分を受けた官邸寄り官僚が続々復権なんていうのでは、やはりおかしい。
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