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テーマ:今日の出来事(287487)
カテゴリ:エコクッキング
今日は某市で行政主宰の男性講座での料理教室の講師をしてきました。連続5回程の講座の中のふたこまが料理でした。前回のメニューは手打ちうどんとかきあげ、今日は鶏めし、鯖の味噌煮、レンソのおかかあえ、けんちん汁と、かなり手のこんだメニューです。
私は料理を教えることより、料理の楽しさとか、人生の楽しみ、を参加者に伝えたいと思っています。 とかく男達は競争の中で落ちこぼれないよう肩に力を入れて生きています。そんな男達も時代の変わり目と自身の人生のエピローグが重なり、生きる指針を変えざるを得なくなります。 肩書きも金も関係なく、ただの一参加者としてそれなりに大切に接してもらえる事、失敗しても、怒られる事も無く、結果よりもプロセスを重んじられること、そんな体験は、彼等の人生ではあり得なかった体験でしょう。 権力や経済力を手放してこそ裸の自分としてラクに生きていける、自分の体や心、他人の心や体験に思いを馳せることで、人生の終章を豊かにすることができる。ささやかな、けれど大切な一歩のための、そんな場であってほしいとの思いがあります。 正しい調理法とか、衛生管理とか、栄養学の基礎とか、そんな実態から懸け離れた知識を切り売りする知識人の真似事をしても彼等には何の益にもなりません。 おいしいねえ、ありがとう、おつかれさま、いただきます、すみません、これらの当たり前だけれど大切な言葉が、ごく自然に心から出てくるような、そんなおじさんになってほしくて、私は私なりの料理教室を行ってきました。 その市で、ずっと以前に私の講習を受けた修了生たちが自主サークルを作って、男の料理教室を続けて9年だとか。 主催した行政の担当者も、他の料理の先生の教室と私の料理教室の雰囲気がかなりちがうらしいとのことも話されていました。それも納得です。ほとんどの講師は料理が目的ですが、私は料理は手段にすぎないのだから。 私の料理教室で参加者が何かを感じ、気付き、学んでくれる、のです。私が教える事ではありません。彼等の人生は彼等自身でしか変えられないのだから。そのためのチャンスを提供する、それが私の仕事。 とはいうものの、料理教室はかなり疲れるし、男の料理教室はかなり浸透してきてもいるので、あえて私がしゃしゃりでなくてもいいか、との思いもあり、最近は進んで料理をすることはなくなりました。 おしゃべりとかワークとかで伝える方が私はらくなんですぅ。私も歳とつたんでしょうかねぇ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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