漱石の生涯061:漱石と松風会の歩み
松山地方において、新派俳句に共鳴してこれが研究を始めたるは明治二十七年春である。…… 明治二十八年三月三日、子規は従軍記者として東京を出発し広島を経由して十三日、松山に帰り叔父大原恒の邸に投せられた。余ら(松風会会員)同人数名とともに、その邸を叩きて日本派俳旬につきて教えを請いしに、居士は快くこれを容れられ、日夜懇篤に教示を与えられた。従軍の途次のため、僅かに数日を出でずして十八日名残惜しくも袂を分かって広島に送ることとなった。…… その熱誠と懇切は到底凡人の企及する能わざる所であった。かくて松風会は日に月に盛況を呈し(御手洗)不迷、三鼠(岡村恒元)、其山(天野義一郎)、森盲天外らまた参加して松風会の名漸次世間に喧伝せらるるようになった。(野間叟柳 松山地方における日本派俳旬研究の起源と子規居士)