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2005年10月04日
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   名人肌とはこれか
      欲のなかったその頃の画家
 狩野芳崖先生が明治の初年に描いた「犬追物」の図、横物の小幅ながら極彩色の入念の作、今は遺作中の珍品だが、当時依頼主が謝礼として差しだしたのは金七円、先生見るより「これでは多過ぎます」と手を引っ込ましたという、うそのようだが事実である。
 以後十余年、画界も少し浮び上った頃、知名の某実業家が橋本雅邦翁へ紙本六曲屏風一双の揮毫を乞うた。画料百円、その後十年を経ても出来ない。翁の名声はそのうちだんだん高まり、今さらあの画料ではとある人を介して追加を申し込むと同時に催促した。翁は却って気の毒がり、さっそく墨画の山水を立派に描き上げて届けたので、今度は依頼者が気の毒がり、改めて礼金の追加を差しだしても翁は頑として受けなかった。
 降って明治の中頃、岩崎家から雅邦、幽谷、和亭、玉章など一流大家へ屏風一双ずつの依頼、その画料はずっと騰って二千円、玉章先生少しく持て余してある人を訪い「どんなに絵具を使っても描きようがない」と零《こぼ》す、「いや、それはあなたの手腕に対する相当の報酬です」といわれ、ようやく安心して描き上げたのが絢爛《けんらん》無比の満山紅葉の図、以上の諸大家さすがに名人肌であった。
 新画の勃興と共に青年画家の一躍大家となった人の多かった明治の末年、池ノ端茅町にいた花鳥画の大家村瀬玉田翁、感慨無量の体で、「画家は四十歳を越さなければ一家を成さぬものでした。私は三十五、六で先年上京した時はすでに銅賞や銀牌の五つ六つは持っていたが、生計すこぶる困難、月十五円の家賃がなかなか払えませんでした。世は進みましたね」。






最終更新日  2005年10月06日 00時04分45秒
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