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2006年03月19日
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顔と頭
 パデレウスキイといへば波蘭《ポ ランド》の聞えた音楽家だが、最近米国に渡つた時、ある日|勃士敦《ボストン》の停車場《ていしやぢやう》で汽車を待ち合せてゐた事があつた。音楽家はモツアルトの楽譜でも踏むやうな足つきをして、歩廊《プラツトホ ム》をあちこち禰律《うろつ》いてゐた。
 十二三のちんぴらな小僧が物蔭から飛ぴ出してこの音楽家の前に立つた。
 「旦那磨かせて戴きませうか。」
 パデレウスキイは立停つて黙つて小僧を見おろした。小僧は手に履刷毛《くつはけ》を提《さ》げてゐる。紛《まが》ふ方《かた》もない履磨きで、榿《だい/\》のやうに小さな顔は履墨《くつずみ》で真黒に汚れてゐる。
 音楽家は洋袴《ズボン》の隠しから、銀貨を一つ取り出して掌面《てのひら》の上に載せた。
 「履は磨かなくともいゝ、お前の顔を洗つておいでよ。さうするとこの銀貨をあげるから。」
 その折音楽家の履はかなり汚れてゐたが、彼はその晩直ぐに天国の階段を上《あが》るのでも無かつたし、米国《アメリカ》の土を踏むのにはそれで十分だと思つてゐたのだ。
 「はい/\。直ぐ洗つて来ますよ。」
と小僧はさう言ふなり、直ぐ洗面所へ駈けつけて、土塗《つちまみ》れの玉葱《たまねぎ》でも洗ふやうに顔中を水に突込んで洗ひ出した。
 小僧は洗《あら》ひ立《トて》の顔をしてパデレウスキイの前に帰つて来た。音楽家は「よし/\」と言つて銀貨を小僧の濡れた掌面《てのひら》に載つけてやつた。小僧は一寸それを頂いたが、直ぐまた音楽家の掌面にそれをかへした。
 「旦那、銀貨はこの儘お前さんに上げるから、これで散髪をおしよ。」
 パデレウスキイは驚いて額を撫でてみた。成程帽子の下から長い髪の毛が食《は》み出してはゐるが、それは音楽家がベエトオベンの頭を真似た自慢の髪の毛だつた。





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最終更新日  2006年04月19日 23時12分29秒
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