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近代日本文学史メジャーのマイナー

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2024.03.09
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  『「私」をつくる』安藤宏(岩波新書)

 もう10年以上前になりますか、いろんな本をやたらに乱読していた(それもカルめの本を)のを反省し、心機一転、今後は近現代日本文学を中心に読書しようと、今となってはその理由もよく覚えていませんが思って以来、特に推理小説だけというわけではないのですが、あまり推理小説も読みません。

 ところが少し前に、久しぶりに一冊推理小説を読んだら、読んでいるときは推理小説の読書らしく、それなりにはらはらしつつ読んでいたのですが、読み終わったら、どうも、なにか、「引っかかる」んですね。

 しばらくぼんやりと考えて、あ、それは「思った」のではなくて、「思い出した」のだと気が付きました。
 昔、推理小説を読んだときに感じたこと、それは、私は作者に騙された感じが嫌だ、ということでありました。

 もちろん、推理小説ですから、いわば作品中の「犯人」の仕掛けたトリックに騙されないように「名探偵」のつもりで読むところに、その面白さの醍醐味があることは、一応知っているつもりであります。

 私の言いたいのは、犯人に騙されるのはいい、でも作者に騙されるのは、なんとなくいい感じがしない、という事であります。

 冒頭の本書の読書報告に近づけるべく、言い方を変えればこういうことです。
 作者に騙されての違和感というのは、三人称の文体の地の文に断りなく「嘘」が描かれる(仄めかされる)のは、いくら推理小説とはいえ納得がいかない(少し嫌な感じがする)という事であります。

 さて、「三人称の文体」という言葉がやっと出てきましたが、冒頭の本書のテーマがそれにかかわっています。(実はそれは、「一人称の文体」でも同様の問題点をはらんでいるということですが。)
 本文から、その問題意識が書かれている個所を引用してみますね。

​実はこれは近代小説が抱え込んだ大きな課題でもあった。なまじ〝話すように書く〟などという試みを自覚的に始めてしまったために、近代の小説は「話しているのは誰なのか」という問題、つまり作中世界を統括する主体がどのような立場と資格で語るべきなのか、という課題に突き当たることになってしまったのである。​

 ちょっと例を交えて(この例は文中にもある例ですが)、説明してみますね。

 「彼は走った」
 「彼は走ったのである」

 この「~た」と「~のである」の二文を比べた時、後者の文には、微妙に誰かの主観が感じられる、そこには「話し手の判断」がある、というものであります。
 どうですか。この問題意識がすでに、かなりスリリングではありませんか。

 これらの事柄について、特に本書前半部に、あれこれ詳しく分析説明がなされているのですが、ざくっと、で、どう考えるの、の部分だけ、かなり端折って抜いてみますね。

​あえて言えば、それは外からの視点ではなく、物語の内部に浮遊する虚構の知覚主体なのであり、個々の場面に出没し、ひそかにのぞき見し、聞き耳を立てつつ、それでいて自身が存在しないかのように抑制的にふるまう、隠れた「私」なのである。​

 ……なるほど、ねえ。
 私が、推理小説を読んでいて、微妙に嫌だなと思った原因はこれだったんですね。
 さらに、上記には私は「作者に騙される」と書きましたが、本書で取り上げている「隠れた『私』」は「叙述主体」とも表現されており、作者とは全く別の「主体」であると書かれています。(なるほど、これも納得ですね。)

 つまり、私の違和感の正体は、「叙述主体」が物語の「犯人」と、微妙な共犯関係を持ちつつそのことを伏せたまま叙述しているせいだ、少なくとも、多くの推理小説の結末部の「種明かし」に至る部分までは、ということであります。

 ということで、本書のおかげで私の推理小説に対する違和感はかなり拭われたのですが、実は本書の分析は、そのことだけにとどまっていません。

 「叙述主体」のそもそもの来歴から始まって、その働き、もたらしたもの(言葉の豊かさ)と失ったもの(表現の矛盾)という功罪全般、そしてさらには今後の克服すべき課題と可能性にまで及んで、実に詳細に分析解説されています。
 そのうえ、ちっとも難しく書かれていません。私のイージーな頭脳でも、一応はそれなりに理解できるように導いてくれます。

 ということで、そのあたりは、ぜひお読みいただければ、と。

 「是非お読みいただければ、と。」と今私は書きましたが、この表現にはどんな要素が存在していて、どんな仕掛けがどんな働きをしているのかなど、そんなことも書かれています。ぜひ。


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Last updated  2024.03.09 17:10:12
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