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カテゴリ:イスラエルライフ
お話(歯無し)にならないよ...
2月にさいたま市や東京都立川市で親子の「孤立死」が見つかったが、3月以降も横浜市などで同様の事例の判明が相次いでいる。セーフティーネットで救われず、死後も長期間気付かれないこうしたケースはなぜ起こり、どう防ぐことができるのか。各地で新たな取り組みが模索されているが、「プライバシーの壁」など課題もなお多い。 孤立死について内閣府の高齢社会白書は「1人で息を引き取り、一定期間放置され、悲惨な状態になったもの」とし、厚生労働省の会議報告書には「社会から『孤立』した結果、死後、長期間放置される」との文言がある。だが、両府省とも「明確な定義はない」とし、全国統計も取っていない。 参考になるのは東京23区の変死体などを扱う東京都監察医務院の「事業概要」の数字だ。23区で09年の1年間、自宅での死亡が見つかった1人暮らしの高齢者(65歳以上)は2194人。「全てが孤立死とは言い切れないが実態に近い」(内閣府・高齢社会担当)として白書にも引用され、「推計では全国で年間3万人との話もある」(同)という。(クローズアップ2012:孤立死、制度のはざま 定義・統計なし 防ぐ仕組み未確立 毎日新聞 2012年04月08日 東京朝刊 より抜粋) 核家族化を今後も推し進めていくのであれば、高齢者にどのような手を差し伸べていくのか。 もちろん、至れりつくせりなどといったことはあり得ない。 だからといって、隣や近所の家々で人が亡くなっているかもしれない状況が混在するような社会になってしまったら、それも自然の摂理であると言い放てる方が何人くらいいるのであろうか。 愛が希薄な社会構成の中で年老いていき、見ず知らずの人に羞恥心などもかなぐり捨てた状態でお世話される身分になりたいと、一般的な見解として人々が真に望むことは果たして可能なのであろうか。 何か問題が持ち上がった際などに、身内がかかわって来たからこそ、今までは何とか世間体や批判ややっかみなども含めて、いろんな歯止めがかかってきたのではなかろうか。 そういった歯止めが、全くの見ず知らずである他人同士である場合などにどのくらいかけられるというのであろうか。 もちろん、人間の中には別け隔てなく皆さんに誠意ある態度や振る舞いを施せる方もいらっしゃいます。 しかし、そういった徳のある方が人口比率でどのくらいいらっしゃるのでしょうか。 誰にもやってくる年老いるという自然現象が、全くのギャンブルに等しいような命がけになる社会構造。 資本主義の性質上、そういった側面においても金銭がからんでしまう以上、そういった部分での歯止めや境界線をどのように取り決めていけるのか。 これから団塊世代が徐々に高齢者の仲間入りをしていくことを考えますと、非常に大きなウェートを占める重大な課題であると感じます。 お金だけではない、人手こそどうするというのだろうか。 ここからが日記です^^。 ペサハ(過越祭り)のために、息子の幼稚園が一週間ばかりお休みになります。 今日は私が一日息子と一緒に過ごしました。 先日、ほとんど同じ日に息子の前歯二本、乳歯が抜けました。 十数年前にバイクで事故って前歯を折ってしまった時のことを私に思い出させてくれる息子の無防備な笑い顔が、お話(歯無し)にならないよ、などとたまに叫びたくなりました(笑)。 ここ数日、息子の食欲が鰻上りなのです。 また成長するのでしょう。 「腹減った~、腹減った~」と、私の顔を見る度に歯の抜けた顔で訴えてきました。 愛犬二匹と結託してね\(^0^)/ 我が家も人出が足りません...(T0T)。 今日もよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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