テーマ:食べ物あれこれ(49939)
カテゴリ:ひとり言…
「創作料理をなぜ作らないのですか?」
そんなことを聞かれることも多い…。 別に創作もトラディショナルもあまり意識していない。 ただ… 東京には、特に『創作』という文字が入った店の看板はあふれている。 つまらない…。 何故かそう思う。 無理な創作…。 素材の相性の組み合わせ自体に無理があったり… 自然体から遠く離れていたり…。 美味しくないと感じるお店が多いせいか…足を運ぶに気にならないことが多い。 何故、美味しくないのか? それは、奇をてらいオリジナルと称する料理のことばかりを考えていて… 腕を磨くことを忘れた料理人が多くなったのではないかと思う。 食品業者さんの多くが嘆く… 「偉そうなことばかり言ってるけど…。たいしたことないんだなぁ~。魚も肉も自分でおろせないんだから…。野菜だって切って袋に入ってるやつを使ってるんだよ。ソースだってレトルトの出来てるやつを温めてさ…」 「そんなお店ばかりじゃないでしょ? 僕の知り合いには、そんな奴いないよ」 「そりゃ~。シェフがそうだから、そういう人が集まるんだよ。実際のところ、そんな人が多いんだよ~。だから儲からないのに仕事ばっかり増えちゃって困るよ~」 …そういう声が本当に多くなった。 それがすべて『創作』の看板をだしている訳では勿論ない。 時代は、楽をして、儲けられれば…それが良い。 その流れは、決して止めることは出来ないと思う。 なぜなら、本物を求める人が少なくなったから… 話がそれたので、元に戻します… 創作そのものは、オリジナリティーがあって良いものだとおもう。 そこに、しっかりした土台があって、その上に組み立てられるものなら… そこに耀く光を感じることが出来るし、そこに魅了される。 次に行った時にどんな料理が出てくるのか… そんな期待感も膨らむ…。 奇をてらう『創作』が多いせいか、逆にしっかりしたトラディショナルのほうが新鮮だと思って、僕はその傾向の料理を作ることが今は多いのかもしれない。 若かった頃の僕は、創作系を重点に作っていた。 フォアグラを春巻きにしたり… フカヒレをソースにして、グリエにした魚に添えたり…。 和や中華やオリエンタルのエッセンスを取り入れたりしていた。 今は、たまーに自然なかたちで創作を作るが、基本や料理の土台は外さない。 今、やっていることは季節や旬の素材の組み合わせでスタンダードを作ること。 これは、不思議と面白い。 季節の魚などには、必ずその魚にあった季節の野菜がある。 無理に季節はずれの西洋野菜なんて使わない。 一応、イタリア料理の看板をだしているから、パプリカ、ズッキーニ、茄子、バジルなんてのは、一年中の間、冷蔵庫に用意してあるが、それが必ずしも良いとも思わない。 音楽の世界でもスタンダード・ナンバーというのがある。 沢山の人がリメイクしたりして、スタンダードを演奏する。 いうなれば名曲中の名曲なのだろう。 料理のトラディショナルは、その土地に育んだ素材を使って、自然に生まれた料理だと思う。 自然の中の素材が、自然に人の知恵と工夫によって生まれたもの。 だから、美味しい。 そう思う。 そんなすごいものを最大限に使わない手はない。 自分の我もプライドも関係ない世界。 あるのは自然の力と先人達の知恵と工夫。 それに自分のエッセンスをほんの少し加えれば十分だと思う。 自然体であること… その自然体を維持することは、時のサイクルが加速している現代社会において、難しくもあるが、しなければならないことのような気がする。 恐らく… 完成なんて永遠にないと思う。 創作もトラディショナルも… そんなことは、僕にはどちらでも良いことなのだと思う。 美味しさにそんなカテゴリーやジャンルは、必要ないと思うから…。 『創作○○○』そんな名前は… 「今の時代は、創作って名前をつけると繁盛する傾向にありますよ…」 なーんて…アホな飲食コンサルタントのアドバイスがあったのかもしれない。 自分で本当にやりたことをやったほうがいいのに…ね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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