モンマルトル (Montmartre) はパリで一番高い丘。セーヌ川右岸18区にあって、パリ有数の観光名所。
この地区は・・・パリと言うと、世界中の誰でもがイメージする坂道と石畳が続く細い露路が入り組んだ、古き良き時代のイメージそのまま広がってます。
ゴッホの住んだアパートやルノワールの描いた庭園レストランなども点在する、素晴らしいパリの町並みを散歩するのは、それだけでタイムスリップしたような、ほんとに贅沢な気分。
ちょっと観光客が多すぎるのが玉にキズ、ですけどね。
でも、さらにもう一歩。
角を曲がって、坂を上ったり下りたりしてゆくと、ユトリロの描いた哀愁の街角にひっそりと出遭ったりします。
シャンソンの似合う、ちいさな公園とか。
★遠望するモンマルトルの夕景。次第に闇が濃くなって丘の上にひときわ白くライトアップされてるのは、サクレ・クール寺院。
モンマルトルは長い間パリ郊外の農地で、ブドウ畑と風車がシンボルでした。
また、その丘の上には大きな女子修道院が建っていた時代もあったらしい。
その都市化が進むのは19世紀半ば。
ナポレオン3世の指示でオスマン男爵によるパリ大改造が行われて、多くの市民が中心部の家を失い、パリ外縁部のフォーブール(近郊)へ移転を余儀なくされたことになって・・。
その移転先の一つがモンマルトルだったのです。
パリの税金や規制が適用されず、また長年丘の上の修道女たちがワインを作っていたことは、モンマルトルが飲み屋街に変わる原因となりました。19世紀末から20世紀初頭、モンマルトルは享楽と退廃の歓楽街となり、ムーラン・ルージュやル・シャ・ノワールといったキャバレーが軒を連ね、有名な歌手やパフォーマーらが舞台に立っていました。
1876年から1912年にかけてモンマルトルの丘の上にサクレ・クール寺院(Basilica of the Sacré)が、1871年の普仏戦争敗戦後にその償いとして一般の寄付で建設されて、現在までその壮麗な白いドームは街中から見えるパリのランドマークになっています。
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メトロの大道芸人達
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